けいけん豊富な毎日

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一日でも早い復旧を祈っています   担【けん♂】

まだ不安が続く九州の大地震について。

救援物資の中の「千羽鶴」や「寄せ書き」はいらない、という
被災者の意見に激怒する人たちがいる模様です。

曰く・・・

・心配してます、という気持ちを素直に受け入れろ。
・気持ちや願いより、物や金を要求するのはいかがなものか。


と、まぁ概ねこんな感じの反応。

えーと、まず千羽鶴でもいいから送って励まそう、という
気持ちについてはもちろん全否定するつもりはありません。

ただ・・・やっぱり何かを送る、というときには
まず相手の気持ちになって考える、ということは忘れてはいけないことかと。

支援に限らず、誰かにプレゼントを贈る際にも
何を贈ったら喜ばれるか、ということをまず考えますよね。
(自分の贈りたいものを贈るって人もいるかもですが・・・^^;)

千羽鶴はもともと病気快癒、長寿の願いのために作られた習慣。
中でも病気快癒については、医者でもない自分たちでは病気を治せない、
という状況の中で、祈るしかない、という気持ちを込めて
贈るものだと考えられます。
要は(病気を治すという面では)何も出来ない、ということが大前提。

しかし、今回のような被災支援については少なくとも
「何も出来ない」わけではありません。
千羽鶴を作るための折り紙を購入する資金を募金に回してもいいし、
救援物資に換えて送ってもいいし・・・。

個人から個人への贈り物(物的支援)であれば、
本命の贈り物のそばにそっと千羽鶴を添えてあっても
無下に邪魔だとは言われないかと思いますが、
こういう非常事態の場合、一旦まとめて受け入れて、仕分けをして、
という作業が発生するわけで、こういう「祈念物」は
その作業を煩雑化させるだけ。
個人宛のモノではないだけに、どこに仕分けすることも
出来ないですし、どこかに飾っとくような暇もスペースもない、
というのが現状だと考えられます。

善意の押し売り、とまでは言いませんが、
被災地で苦しんでいる方のとって、必要なモノは何なのか、
どうしたら喜んで貰えるのか、という視点で
改めて見直すべき話なのかなと。



一日でも早く復旧し、被災地の方々が日常を取り戻せますように。

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