休みなく・・・というか変わりないペースでやっていたんですが、
今年は週頭からまたもやまともに睡眠時間が取れないまま大晦日突入。
先ほど帰宅しましたが、いつまともに寝たか思い出せない状態で・・・フラフラです。
今晩は少し休める予定ですが、明日はまた仕事。
(元旦も関係ないんで・・・)
とりあえず金杯に関しては間に合いそうもありません(>_<)
自分自身の考察やなんかはちょっと置いておいて、
競馬の語り部「temporalis」さんから過去の名馬に関するお話を頂いたので
そちらを紹介させて頂きます。
日本中が競馬に熱狂した時代・・・どんな話なのか
私も楽しみです。
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〝芦毛の名馬"と言えばどんな馬が思い浮かぶでしょう?
現役ならばGⅠ6勝のゴールドシップ、
驚異のロングスパートでGⅠ3勝を挙げたヒシミラクル、
ダート参戦で驚愕のレコード勝ちを連発、日本競馬界を震撼させたクロフネ、
デビューから15戦連続連対と抜群の安定感を誇ったビワハヤヒデ、
最強ステイヤーの誉れ高いメジロマックイーン、
スペシャルウィークを向うにまわし、クラシック2冠を制覇したセイウンスカイ、
そして何といっても空前の競馬ブームの立役者となった怪物オグリキャップ・・・
「芦毛の馬は走らない」と言われた時代が嘘のように近代競馬では
枚挙に暇がありませんね。
そんな名馬達の先輩に芦毛時代を切り開いた1頭のサラブレッドがいました。
その馬の名をタマモクロスと言います。
タマモクロスという馬を知ったのは彼が初めて重賞勝ちを収めた鳴尾記念
(GⅡ芝2500M)の後の事でした。
何でもまだ900万下条件の馬が53kgの軽ハンデとはいえGⅡに挑戦して勝って
しまったのだと。
しかも出遅れて道中は1000M通過が1分6秒8の超スローペースを最後方から追走、
普通なら全く競馬にならない展開ながらあれよあれよと言う間に先頭に追いつき、
直線では2着馬を6馬身突き放してしまったというではありませんか!
その上、タイムは2分33秒3のコースレコード、稍重馬場だったといいますから
もう驚く他ありません。
しかし、彗星のごとく現れたこのサラブレッドがここまで辿り着く事を想像できた
人は殆どいなかったと言っていいでしょう。
唯一人、生産者の錦野さんを除いては・・・
タマモクロスは多額の負債を抱えた錦野牧場が最後の望みをかけた生産馬でした。
父シービークロスは〝白い稲妻"の異名を持つ後方一気の末脚で魅了した個性派
でしたが、毎日王冠、目黒記念のレコード勝ちはあるものの、大きなタイトルは
無く種牡馬入りは微妙だったそうです。
そこでかねてからシービークロスの瞬発力に大きな魅力を感じていた錦野さんは、
シンジケート結成へ多くの人を説得し、種牡馬入りへ一役買っていたのです。
そんないきさつもあり、錦野さんは迷わず牧場一の繁殖牝馬グリーンシャトーに
種付料10万円と格安のシービークロスを付ける事を決めたのでした。
生れ落ちたタマモクロスを見て錦野さんは
「これは私が理想とするサラブレッドだ」
と、大きな期待をかけました。
しかしながら、そんな錦野さんの思いとは裏腹に血統的な魅力に欠け、見た目も
華奢に映るシービークロスの牡馬への評価は厳しく、結局500万円という廉価で
しか買い取ってもらえなかったのです。
数千万円で売れると見積もっていた錦野さんの落胆は大きなものでしたが、
『競走馬としてデビューさえしてくれれば、必ず大きなレースを勝って牧場の
窮地を救ってくれる』
そう信じて債権者達をタマモクロスにかける情熱で説得し、返済を何とか
先延ばしにしてもらったのです。
栗東の小原厩舎に入厩したタマモクロスでしたが、ここでも厳しい評価が
待っていました。
何せ牝馬のように華奢な上、臆病な性格で飼葉食いも非常に悪く、まともに
調教さえ積めないような状況で、小原調教師は
「とてもじゃないが走る馬とは思えなかった。」
と入厩当時を振り返っています。
それでもじっくりと調整され、満足な状態ではありませんでしたが4歳(現3歳)
になった3月1日、何とかタマモクロスはデビューに漕ぎ着けました。
この日を待ち侘びた錦野さんはどれだけの期待を持ってレースを
見つめた事でしょう。
しかし無情にもスタートから果敢に逃げたタマモクロスは直線ズルズルと下がり、
10頭立ての7着と惨敗したのでした。
折り返しの新馬戦(D1800M)でも4着に敗れた後、続くダート1700Mの未勝利戦で
ようやく初勝利を挙げたものの、再び芝に戻った次走400万下では落馬事故に
巻き込まれ競争中止のアクシデント、ただでさえ臆病なタマモクロスはこれが
トラウマになり馬群を怖がるようになってしまうのです。
どうしても芝のイメージが悪いので、以降ダートのレースを続けて使われますが、
そこそこ好走はするものの馬群で競馬ができない事もあり、4戦連続勝ち切れない
ままでした。
デビューから8戦して未だ400万下を卒業できないタマモクロスを見て、錦野牧場
の債権者達が黙っている筈もありません。
もはや錦野さんになす術はなく、ついに錦野牧場は倒産し、一家は離散しました。
牧場の宝でもあったタマモクロスの母グリーンシャトーは人手に渡りましたが、
新しい環境に馴染めず、間もなく腸捻転を発症してこの世を去りました。
錦野さんの無念はどれほどのものだったでしょう。
しかし、この事を知っていた筈もありませんが、ここからタマモクロスは覚醒
するのです。
「そろそろ芝を使ってみましょう。」
そう進言したのはタマモクロスの主戦、南井克己騎手でした。
前回の芝は競争中止のアクシデントがあったので、実質芝でレースをしたのは
デビュー戦のみ、彼は稽古の動きからもタマモクロスはもう少しやれていい馬だと
感じていたのです。
そして向かった芝2200M戦で信じられないような光景を目にする事になります。
スタートから4~5番手の好位につけたタマモクロスは直線に向くと後続をグングン
突き放していき何と2着に7馬身差をつけてゴールしてしまったのです!
しかも勝ち時計の2分16秒2は同日同コースで行われた菊花賞トライアル
京都新聞杯(GⅡ)のそれを0.1秒上回るもでしたから、競馬ファンのみならず、
関係者をも唖然とさせる大変身を遂げたのでした。
この強さは本物なのか?
半信半疑のまま次走藤森特別(400万下芝2000M)へ向かったタマモクロスでしたが、
ここでも今度は2着に8馬身差をつける圧勝劇、もう彼の力を疑う者はいません。
あまりの強さにやっと900万下に上がった身ながら、前述の鳴門記念挑戦、
そして圧勝へとつながったという訳です。
こうして一躍競馬界の超新星となったタマモクロスには、
「これだけの強さ、是非有馬記念へ」という声が当然のように上がりました。
オーナーも出走の意向を強く示しましたが、これにストップをかけたのは
小原調教師でした。
もともと飼葉食いの細いタマモクロスがデビューから休暇らしい休暇もなく
約10か月で11戦を消化、特に鳴尾記念の後はさらに飼葉食いが細くなっており、
このまま最高峰の戦いとなる有馬記念へ向かっては馬を潰してしまう、
とオーナーを説き伏せたのです。
オーナーは渋々諦めましたが、その代わりに翌年のスタートとなるレースを
小原調教師の考えていた日経新春杯ではなく京都金杯にして欲しいと希望しました。
年の初めのレースを勝てば縁起がいいからという理由でしたが、ここは小原調教師
が折れる形になりました。
年が明けて京都金杯(GⅢ・芝2000M)に臨んだタマモクロス、もうここでは誰もが
注目する堂々の主役です。
トップハンデの56Kを背負いながら単勝は2.2倍と抜けた1番人気、どんな勝ち方を
するかに興味は注がれました。
ところが、いざ蓋を開けてみると予想だにしない展開が待っていたのです。
鳴尾記念同様スタートで後手を踏んだタマモクロスは最後方からの競馬になって
しまいます。
まあ、これだけならばタマモクロスの力をもってすれば大丈夫、と大方の人はまだ
楽観視していたでしょう。
しかし、レースが進むにつれて雲行きが怪しくなってきます。
南井騎手が押せども押せどもタマモクロスは一向に走る気を見せず、ポジションは
後方のままで上がってくる気配はありません。
このレースは内回りコースで直線は僅か328m、4コーナーでもまだ最後方の
タマモクロスに場内は騒然とします。
この位置では外を回しては厳しいと内を突いた南井騎手、
しかし直線に向いた時、前方にはギッシリと馬群の壁が!
(今日はタマモクロスは負ける)
誰もがそう思いました。
が、ここから我々はタマモクロスの底力を見せつけられる事となるのです。
何とあの馬群が怖くて仕方が無かった臆病な馬が、僅かにバラけた前方の馬群の
隙間を内へ外へ、また内へと縫うように進出していくではありませんか!
その姿は正に〝白い稲妻″、あれよあれよという間に全馬を抜き去り、
堂々先頭でゴール板を駆け抜けたのです。
4角最後方からのごぼう抜きというレースならば何度か見たことがありましたが、
この馬込みをジグザグに走りながら一気に突き抜けるという離れ業はちょっと
他に例を見ない異次元のものでした。
しかも2~5着馬は全て4コーナーを先団で回った馬ばかりですから、
タマモクロス恐るべしです。
こうして縁起の良い金杯を制覇した次走、陣営が選択したレースは天皇賞春を
見据えた長丁場、阪神大賞典(GⅡ芝3000M)でした。
ここでの強敵は菊花賞、有馬記念と長距離のGⅠを2勝しているメジロデュレン。
鳴尾記念ではタマモクロスが完勝していますが、ハンデ差があってのもの、
メジロデュレンには距離実績がある上に今回は別定戦、そう簡単にはいくまいと
2強対決のムードが漂いました。
ところが、蓋を開けてみるとレースでタマモクロスを苦しめたのはメジロデュレン
ではなく、伏兵ダイナカーペンターでした。
ダイナカーペンターはゆっくりと先頭に立つとマイペースに持ち込みます。
1000M通過が1分6秒6、1600M通過が1分45秒8、2000M通過が2分11秒0と超のつく
スローペース、7頭立ての小頭数だった事もあり外に出しては掛かってしまうと、
南井騎手はタマモクロスを内に入れて何とかなだめていました。
前が楽をしているのは明らかで南井騎手は早めに動き、4角では3番手に押し上げて
直線に向くとタマモクロスにゴーサインのムチを入れます。
一気に内から交わしにかかるタマモクロスですが、逃げたダイナカーペンターも
内に進路を取り前を塞がれてしまいます。
それなら外へと進路を変えますが、今度は2番手を追走していたマルブツファースト
が内に切れ込んで2頭に挟まれる形に。
楽に先行した2頭には余力がある上、狭いところに入ってしまい大ピンチ。
16頭立ての金杯であれだけスイスイと馬群を交わしていけたのに、たった7頭立ての
レースでこんな窮地に追い込まれるとは競馬とは分からないものです。
それでも2頭の間をこじ開けてジワリジワリと差を詰めるタマモクロス、
3頭が鼻面を合わせたと見えたところがゴールでした。
写真判定の結果、タマモクロスとダイナカーペンターは1着同着、
マルブツファーストはハナ差の3着と史上稀に見る大接戦の末、タマモクロスは
辛くも重賞3連勝を飾ったのでした。
続きます。
