4歳になってもキンチェムの快進撃は続きます。
まずは、4月22日~5月30日までの1ヶ月強の間の驚くべき戦績から列挙します。
走日 レース名 距離 斤量 着順 着差
4月22日 エレフネンクスレネン 芝1,600m 65.5kg 1着 2馬身
4月25日 プラーター公園賞 芝2,000m 67kg 1着 3馬身
5月 4日 アーラム・ディーユ 芝2,400m 69kg 1着 5馬身
5月14日 アーラム・ディーユ 芝3,200m 67Kg 1着 5馬身
5月16日 キシュベル賞 芝2,000m 69.5Kg 1着 3馬身
5月19日 アーラム・ディーユ 芝2,400m 69.5Kg 1着 大差
5月26日 シュタット賞 芝2,800m 69.5Kg 1着 1馬身
5月28日 トライアルS 芝1,600m 65kg 1着 大差
5月30日 シュタット賞 芝1,600m 69.5kg 1着 5馬身
どうでしょう?何とこの短期間で9連勝しているのです!
しかも、目を疑うような過酷な斤量を克服しているではありませんか!
69.5Kgを背負って大差勝ちって一体・・・
キンチェムは体高こそあったものの華奢な体型でステイヤータイプ、
首をグッと下げた地を這うような走法だったといいますから決して
馬力型ではありません。
それだけにもうスバ抜けた能力と根性を持ち合わせていたとしか言いようがありませんね。
そしていよいよ、キンチェムは本場西ヨーロッパへと殴り込みをかけます。
まずは競馬発祥の地イギリスへ。
彼女の強さは英国にも知れ渡っており、『ハンガリーの奇跡』と呼ばれていました。
当初はダービー馬シルヴィオやオークス馬プラシダとのマッチレースの話も
持ち上がりましたが、キンチェムに敗れて本場のプライドが傷付くのを恐れてか、
実現はしませんでした。
結局向かったのは3大カップレースの一つグッドウッドカップ(芝4224m)。
ここでも前年にグッドウッドカップ、ドンカスターカップの
3大カップレースの2つを制していたハンプトンや、これまた3大カップレースの1つである
アスコットゴールドカップを勝ったヴェルヌイユら有力馬がキンチェムを恐れて
続々回避、とうとう僅か3頭立てのレースとなってしまいました。
それでも誇り高き英国人はキンチェムを3頭立て3番人気と低評価、本場イギリス
の馬がハンガリーの馬ごときに負けるのは許されないと言わんばかりです。
レースは後にドンカスターカップを勝つペーシェントが逃げる形となりましたが
キンチェムはこれをあっさり捉えて2馬身差の快勝、その力が本物である事を証明しました。
そして次に向かったのはもう一つの誇り高き国フランスで行われる
ドーヴィル大賞典(芝2400m)です。
英国に続いてハンガリーの馬に勝たせるわけにはいかないとキンチェムには
61㎏の斤量が課せられます。
1番人気もフランス2000ギニーの勝ち馬フォンテヌブローに譲りますが結果は
半馬身差でキンチェムの勝利、イギリス、フランスの大レースを見事連勝して見せたのです。
そんな無敵を誇ったキンチェムが生涯唯一と言っていい苦戦を強いられたのが
次走ドイツでのドーヴィル大賞典(芝3200m)でした。
昨年も制しているこのレース、連覇をかけての出走でしたが騎手の慢心から
何と泥酔状態で騎乗してしまったのです。
大きく離された後方の位置取りとなってしまったキンチェム、直線に向いても
もはや逆転は不可能と思われました。
《万事休す》 誰もがそう思ったその時、キンチェムが動き出します。
何とか掴まっているだけの騎手を背に信じられないような加速で前を急追、
先頭に並びかけたところがゴールでした。
判定は同着、規定によりこのレースは2頭のマッチレースによる決勝戦が
行われる事になりました。
ところがこの決勝戦でも思わぬアクシデントがキンチェムを襲います。
途中で野良犬がコースに飛び出し、キンチェムに絡んで来たのです。
この間に大きく引き離されてしまい、またまた大ピンチ。
しかしキンチェムはこの野良犬を蹴り飛ばすと猛追を開始、あれよあれよと
いう間に相手馬を捉えると逆に6馬身差をつけてゴールイン!
見事競争生活最大の苦境を乗り越えて無敗を守ったのです。
その後、本国に戻って3戦(もちろん3勝)したキンチェム、4歳時を
15戦15勝で終えました。
5歳になっても現役を続行したキンチェム。
初戦のアラームディーユ賞(芝2400M)では遂に斤量72kgと70kg台に突入!
それでもキンチェムは8馬身差で圧勝してしまいます。
その後、5月4日、5月6日、5月8日と5日間に3戦という過酷ローテに挑戦。
4日のカロイー伯爵S(芝3600M)こそ全馬回避の単走(61.5kg)だったものの、
6日のアラームディーユ賞(芝3600M)では72.5kgを背負い2馬身差で快勝、
8日のこれまたアラームディーユ賞(芝2400M)では遂に生涯最重量となる
驚愕の76.5Kgを課せられるもまたもや2馬身差で完勝。
この過酷ローテの中、これだけの酷量を背負い続けながら故障もせずに
勝ち続ける彼女の強靭さにはもはや言葉もありませんね。
キンチェムはこの後8戦を全て勝った後に同厩舎の馬との喧嘩で
怪我をしてしまいそのまま引退、5歳時も12戦12勝で通算54戦54勝という
金字塔を打ち立ててターフを去りました。
これほどの強さを見せつけたキンチェムですから何か〝鉄の女"的なイメージを
持ってしまいそうですが、実は彼女は非常に心優しきレディでもあったのです。
キンチェムの担当厩務員フランキーとの信頼関係は非常に深く、列車で移動の際も
必ずフランキーが側にいる事を確認しないと寝なかったといいます。
そして、ある寒い日にフランキーが何も掛けずに寝ていると、キンチェムは
自分の馬衣をくわえてフランキーにかけてあげました。
その日からたとえフランキーが毛布を掛けていてもずっと馬衣を掛け続けた
そうで、彼女のフランキーへの愛情の深さがうかがい知れますね。
そんなキンチェムの事が可愛くて仕方が無いフランキーは自らを
フランキー・キンチェムと名乗り一生を独身で通したそうです。
きっと彼にとってはキンチェムこそが唯一無二の伴侶だったのでしょう。
もちろん、彼の墓標には〝フランキー・キンチェム"の名が刻まれています。
フランキーの他にも彼女には普段からとても仲の良い親友のネコがいました。
イギリスでグッドウッドカップを勝った帰路、そのネコが船から列車に
乗り換える際、行方不明になってしまいました。
キンチェムはとても列車の旅が好きで普段は嬉々として乗り込むのですが、
この時は頑として乗車を拒否して2時間に渡り鳴き続けたといいます。
船の中で迷子になってしまっていたネコはキンチェムの鳴き声を頼りに無事戻り、
それを確認したキンチェムは安心して列車に乗り込んだそうです。
また、こんなエピソードもあります。
馬主のブラスコヴィッチはキンチェムがレースに勝つと決まって頭絡に花を
飾って祝福していたそうですが、ある日これが遅れた事がありました。
するとキンチェムはすっかりすねてしまい、なかなか鞍を外させようと
しなかったとか。
まるで人間の女の子のようで微笑ましいですね。
キンチェムは引退後、繁殖牝馬として5頭の産駒を送り出し、
どの産駒もクラシック勝ちや未出走でもその産駒がクラシックを勝つなど
優秀な成績を残しました。
とりわけ初年度産駒ブタジェンジェは牝馬ながら独ダービーを制し、その子孫
にはキンチェムから数えて13代目に英オークス馬ポリガミー、17代目に
2012年の英国2冠馬(2000ギニー、ダービー)キャメロットがいます。
因みに日本の毎日王冠に出走し、後の天皇賞(秋)馬バブルガムフェローを
負かして優勝したアヌスミラビリスもこのキンチェムの末裔だそうですね。
キンチェムが生まれたのが1874年、140年が経過した今でもその子孫が
世界各国で活躍しているとは嬉しい話ではありませんか。
キンチェムは13歳の誕生日に疝痛によりその偉大な生涯を閉じました。
この日ハンガリーの教会はキンチェムを讃え、追悼の鐘を鳴らし続けたといいます。
生誕100周年の1974年にはブダペスト競馬場が「キンチェム競馬場」と改名され、
ここにキンチェムの銅像も建てられました。
勝利距離は実に947m~4200mという幅広さ、過酷なローテーション
(しかも、列車、船でのタフな移動!)、最高76.5kgに及ぶ酷量、
それらをものともせず達成した54戦54勝という金字塔は今なお輝き続けています。
強く優しくチャーミングなキンチェムの物語、
時代を超えて語り継いでいって欲しいものですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いかがでしたでしょうか。
日本では考えられないような過密日程での出走、(中1日って?!)
70kgを超える酷斤量とか・・・野良犬に絡まれるとか(爆)
ちょっと信じ難い環境の中、生涯を無敗で通したキンチェム。
(騎手の泥酔もありえませんね:笑)
こうした名馬の血を血統表の中から見つけるのも楽しいですね。
キンチェムに追いつけ、は無理にしても、日本の馬たちも
今後に素晴らしい血を残していけるよう、頑張っていって貰いたいものです。
まずは、4月22日~5月30日までの1ヶ月強の間の驚くべき戦績から列挙します。
走日 レース名 距離 斤量 着順 着差
4月22日 エレフネンクスレネン 芝1,600m 65.5kg 1着 2馬身
4月25日 プラーター公園賞 芝2,000m 67kg 1着 3馬身
5月 4日 アーラム・ディーユ 芝2,400m 69kg 1着 5馬身
5月14日 アーラム・ディーユ 芝3,200m 67Kg 1着 5馬身
5月16日 キシュベル賞 芝2,000m 69.5Kg 1着 3馬身
5月19日 アーラム・ディーユ 芝2,400m 69.5Kg 1着 大差
5月26日 シュタット賞 芝2,800m 69.5Kg 1着 1馬身
5月28日 トライアルS 芝1,600m 65kg 1着 大差
5月30日 シュタット賞 芝1,600m 69.5kg 1着 5馬身
どうでしょう?何とこの短期間で9連勝しているのです!
しかも、目を疑うような過酷な斤量を克服しているではありませんか!
69.5Kgを背負って大差勝ちって一体・・・
キンチェムは体高こそあったものの華奢な体型でステイヤータイプ、
首をグッと下げた地を這うような走法だったといいますから決して
馬力型ではありません。
それだけにもうスバ抜けた能力と根性を持ち合わせていたとしか言いようがありませんね。
そしていよいよ、キンチェムは本場西ヨーロッパへと殴り込みをかけます。
まずは競馬発祥の地イギリスへ。
彼女の強さは英国にも知れ渡っており、『ハンガリーの奇跡』と呼ばれていました。
当初はダービー馬シルヴィオやオークス馬プラシダとのマッチレースの話も
持ち上がりましたが、キンチェムに敗れて本場のプライドが傷付くのを恐れてか、
実現はしませんでした。
結局向かったのは3大カップレースの一つグッドウッドカップ(芝4224m)。
ここでも前年にグッドウッドカップ、ドンカスターカップの
3大カップレースの2つを制していたハンプトンや、これまた3大カップレースの1つである
アスコットゴールドカップを勝ったヴェルヌイユら有力馬がキンチェムを恐れて
続々回避、とうとう僅か3頭立てのレースとなってしまいました。
それでも誇り高き英国人はキンチェムを3頭立て3番人気と低評価、本場イギリス
の馬がハンガリーの馬ごときに負けるのは許されないと言わんばかりです。
レースは後にドンカスターカップを勝つペーシェントが逃げる形となりましたが
キンチェムはこれをあっさり捉えて2馬身差の快勝、その力が本物である事を証明しました。
そして次に向かったのはもう一つの誇り高き国フランスで行われる
ドーヴィル大賞典(芝2400m)です。
英国に続いてハンガリーの馬に勝たせるわけにはいかないとキンチェムには
61㎏の斤量が課せられます。
1番人気もフランス2000ギニーの勝ち馬フォンテヌブローに譲りますが結果は
半馬身差でキンチェムの勝利、イギリス、フランスの大レースを見事連勝して見せたのです。
そんな無敵を誇ったキンチェムが生涯唯一と言っていい苦戦を強いられたのが
次走ドイツでのドーヴィル大賞典(芝3200m)でした。
昨年も制しているこのレース、連覇をかけての出走でしたが騎手の慢心から
何と泥酔状態で騎乗してしまったのです。
大きく離された後方の位置取りとなってしまったキンチェム、直線に向いても
もはや逆転は不可能と思われました。
《万事休す》 誰もがそう思ったその時、キンチェムが動き出します。
何とか掴まっているだけの騎手を背に信じられないような加速で前を急追、
先頭に並びかけたところがゴールでした。
判定は同着、規定によりこのレースは2頭のマッチレースによる決勝戦が
行われる事になりました。
ところがこの決勝戦でも思わぬアクシデントがキンチェムを襲います。
途中で野良犬がコースに飛び出し、キンチェムに絡んで来たのです。
この間に大きく引き離されてしまい、またまた大ピンチ。
しかしキンチェムはこの野良犬を蹴り飛ばすと猛追を開始、あれよあれよと
いう間に相手馬を捉えると逆に6馬身差をつけてゴールイン!
見事競争生活最大の苦境を乗り越えて無敗を守ったのです。
その後、本国に戻って3戦(もちろん3勝)したキンチェム、4歳時を
15戦15勝で終えました。
5歳になっても現役を続行したキンチェム。
初戦のアラームディーユ賞(芝2400M)では遂に斤量72kgと70kg台に突入!
それでもキンチェムは8馬身差で圧勝してしまいます。
その後、5月4日、5月6日、5月8日と5日間に3戦という過酷ローテに挑戦。
4日のカロイー伯爵S(芝3600M)こそ全馬回避の単走(61.5kg)だったものの、
6日のアラームディーユ賞(芝3600M)では72.5kgを背負い2馬身差で快勝、
8日のこれまたアラームディーユ賞(芝2400M)では遂に生涯最重量となる
驚愕の76.5Kgを課せられるもまたもや2馬身差で完勝。
この過酷ローテの中、これだけの酷量を背負い続けながら故障もせずに
勝ち続ける彼女の強靭さにはもはや言葉もありませんね。
キンチェムはこの後8戦を全て勝った後に同厩舎の馬との喧嘩で
怪我をしてしまいそのまま引退、5歳時も12戦12勝で通算54戦54勝という
金字塔を打ち立ててターフを去りました。
これほどの強さを見せつけたキンチェムですから何か〝鉄の女"的なイメージを
持ってしまいそうですが、実は彼女は非常に心優しきレディでもあったのです。
キンチェムの担当厩務員フランキーとの信頼関係は非常に深く、列車で移動の際も
必ずフランキーが側にいる事を確認しないと寝なかったといいます。
そして、ある寒い日にフランキーが何も掛けずに寝ていると、キンチェムは
自分の馬衣をくわえてフランキーにかけてあげました。
その日からたとえフランキーが毛布を掛けていてもずっと馬衣を掛け続けた
そうで、彼女のフランキーへの愛情の深さがうかがい知れますね。
そんなキンチェムの事が可愛くて仕方が無いフランキーは自らを
フランキー・キンチェムと名乗り一生を独身で通したそうです。
きっと彼にとってはキンチェムこそが唯一無二の伴侶だったのでしょう。
もちろん、彼の墓標には〝フランキー・キンチェム"の名が刻まれています。
フランキーの他にも彼女には普段からとても仲の良い親友のネコがいました。
イギリスでグッドウッドカップを勝った帰路、そのネコが船から列車に
乗り換える際、行方不明になってしまいました。
キンチェムはとても列車の旅が好きで普段は嬉々として乗り込むのですが、
この時は頑として乗車を拒否して2時間に渡り鳴き続けたといいます。
船の中で迷子になってしまっていたネコはキンチェムの鳴き声を頼りに無事戻り、
それを確認したキンチェムは安心して列車に乗り込んだそうです。
また、こんなエピソードもあります。
馬主のブラスコヴィッチはキンチェムがレースに勝つと決まって頭絡に花を
飾って祝福していたそうですが、ある日これが遅れた事がありました。
するとキンチェムはすっかりすねてしまい、なかなか鞍を外させようと
しなかったとか。
まるで人間の女の子のようで微笑ましいですね。
キンチェムは引退後、繁殖牝馬として5頭の産駒を送り出し、
どの産駒もクラシック勝ちや未出走でもその産駒がクラシックを勝つなど
優秀な成績を残しました。
とりわけ初年度産駒ブタジェンジェは牝馬ながら独ダービーを制し、その子孫
にはキンチェムから数えて13代目に英オークス馬ポリガミー、17代目に
2012年の英国2冠馬(2000ギニー、ダービー)キャメロットがいます。
因みに日本の毎日王冠に出走し、後の天皇賞(秋)馬バブルガムフェローを
負かして優勝したアヌスミラビリスもこのキンチェムの末裔だそうですね。
キンチェムが生まれたのが1874年、140年が経過した今でもその子孫が
世界各国で活躍しているとは嬉しい話ではありませんか。
キンチェムは13歳の誕生日に疝痛によりその偉大な生涯を閉じました。
この日ハンガリーの教会はキンチェムを讃え、追悼の鐘を鳴らし続けたといいます。
生誕100周年の1974年にはブダペスト競馬場が「キンチェム競馬場」と改名され、
ここにキンチェムの銅像も建てられました。
勝利距離は実に947m~4200mという幅広さ、過酷なローテーション
(しかも、列車、船でのタフな移動!)、最高76.5kgに及ぶ酷量、
それらをものともせず達成した54戦54勝という金字塔は今なお輝き続けています。
強く優しくチャーミングなキンチェムの物語、
時代を超えて語り継いでいって欲しいものですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いかがでしたでしょうか。
日本では考えられないような過密日程での出走、(中1日って?!)
70kgを超える酷斤量とか・・・野良犬に絡まれるとか(爆)
ちょっと信じ難い環境の中、生涯を無敗で通したキンチェム。
(騎手の泥酔もありえませんね:笑)
こうした名馬の血を血統表の中から見つけるのも楽しいですね。
キンチェムに追いつけ、は無理にしても、日本の馬たちも
今後に素晴らしい血を残していけるよう、頑張っていって貰いたいものです。
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