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海外の名馬(シアトルスルーpart2)  担【temporalis】

第2章【無敗の三冠馬の誕生!

こうしてエクリプス賞最優秀2歳馬に選出されたシアトルスルー
約5ヶ月の休養を経て翌年3月に3歳初戦を迎えました。
ダート1400Mの一般戦でしたが当然のように持ったままの楽勝で時計は
1分20秒6のレコード、3歳の春先ですから現代の日本の芝であっても
相当な時計ですよね、これ。
続いてフラミンゴS、ウッドメモリアルSの二つのG1競争(共にD1800M)を
「本当にこれGⅠ?」
というくらいの力の違いを見せつけて連勝、遂に三冠緒戦ケンタッキーダービー
(D2000M)へと駒を進めます。

ケンタッキーダービー当日、単勝1.5倍と圧倒的な支持を集めたシアトルスルー
でしたが、スタートで思わぬアクシデントが起こります。
ゲートに頭をぶつけて出遅れてしまったのです。
流石に一線級の出揃う三冠レースでは出遅れは致命傷と言えるでしょう、
しかしこの馬はモノが違いました。
慌てる事無く加速を開始すると次々と前の馬を抜き去り、1コーナーではもう
先頭を行くフォーザモーメントに並びかけていました。
一気に交わして先頭に立つか?と思われましたがそこは三冠レース、
序盤無理した分、クリュゲ騎手は向正面で一息入れ二番手を追走します。
そして最終コーナー辺りでフォーザモーメントを交わすと先頭で直線へ。
さすがにクリュゲ騎手も大舞台で力が入ったのか、いつもより激しく
シアトルスルーを追います。

しかし、スタートの不利が響いたか、これまでのような楽勝とはいきません。
3番手から追いすがるランダスティーランに直線で差を詰められるシアトルスルー。
それでも彼の底力は流石、最後まで踏ん張り切ってゴールではランダスティーランを
1馬身3/4差抑え一冠目を手中に収めました。(勝ち時計2分2秒2)
まあ、決して〈危ない〉という程ではありませんでしたが、これまでの
圧倒的な内容からすれば出遅れもありやや苦戦したという印象のレースですね。
そして二週間後、二冠目プリークネスS(D1900M)へと舞台は移ります。
このレースはシアトルスルーにとって更にしんどいレースとなりました。
というのも、ここに出走してきた先行馬のコーモラントという馬が滅法スピードがあり、
同型のシアトルスルーが譲らずかなりのハイペースになってしまったのです。
400M通過が22秒3、800M通過が45秒3、1200M通過は1分9秒4
ダート1900M戦でこのペースはさすがにきついでしょう。

それでもコーモラントをついに振り切ったシアトルスルーは先頭で直線に向くと
底力を見せます。
満を持して追い込んで来たアイアンコンスティテューションも1馬身3/4差まで
迫るのが精一杯、ゴール前では脚色が同じになり1分54秒4のタイムで
シアトルスルーが二冠目を制しました

そしていよいよ三冠最終関門ベルモントS(D2400M)を迎えたシアトルスルー。
とにかく長いアメリカ競馬の歴史の中で無敗で三冠を制した馬はいないのです。
あのサイテーションやセクレタリアトでさえ成し得なかった偉業をこの僅か
1万7500ドルで買われた一般セリ出身の馬がやってのけるのかどうか、
世間の注目は集まりました。

スタート後あっさりと主導権を握ったかと思われたシアトルスルーでしたが、
1コーナーを回った辺りで1頭の馬が並びかけてきました。
ケンタッキーダービーでシアトルスルーに迫ったランダスティーランです。
追い込んで届かないなら力と力の勝負に持ち込もうという作戦でしょう、
一歩も譲る気配はありません。

途中、もう一頭割って入って来て三頭雁行の更に厳しい流れに。
しかし、ここからがシアトルスルーの真骨頂、地力の違いでジワリ、ジワリと
二頭を引き離して行き、最終コーナーでは2馬身半くらいのリードを奪います。
ランダスティーランもこのまま引き下がるわけには行きません、
最後の力を振り絞ってもう一度盛り返しにかかります。
が、しかしシアトルスルーの底力には敵いません、更にリードを広げると
ゴールでは4馬身差をつける圧勝劇(2分29秒6)、ここにアメリカ競馬史上
空前絶後の無敗の三冠馬は誕生したのでした。

馬は生き物、調子の悪い時もあれば気持ちの乗らない時もあります、ましてや
何頭もの馬がオープンコースで走る競馬ともなれば勝ち続けるという事は至難の技です。
その上、アメリカは日本と違い僅か一ヶ月余りの期間に全ての三冠レースが
行われ
ますから消耗度は相当なもの、この偉業にはどれだけの賛辞を送っても
足りる事はありませんね。

しかし、この栄光を掴んだ後、試練が待ち受けていました。
シアトルスルーを管理するターナー調教師と馬主が対立してしまったのです。
というのも、三冠レース後には長期の休養が必要だと主張するターナー調教師に対して、
馬主はベルモントSから一ヶ月も経たない内に遠く西部カリフォルニア州の
ハリウッドパーク競馬場で行われるG1スワップステークス(D2000M)に出走させたい
と言うのです。
結局馬主サイドが押し切る形で出走、さすがのシアトルスルーもこの強行軍には
対応出来ず、以前の対戦では全く相手にしなかったJ.Oトビンから離されること
実に16馬身、生涯唯一の大敗で4着に敗れてしまいます。
この結果により馬主と調教師の溝は決定的なものとなり、シアトルスルーは
ターナー調教師の元を離れる事になりました。
更に災いは続き、転厩後に原因不明の高熱に見舞われたシアトルスルーは
一時生命が危ぶまれるほど病状が悪化、しかし強靭な精神力で何とか持ち直します。
結局この年はもうレースを走る事はありませんでしたが、当然年度代表馬、
最優秀3歳牡馬に選出されシーズンを締めくくりました。

※続きます。

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