けいけん豊富な毎日

海外の名馬(シアトルスルーpart1)  担【temporalis】

temporalisさんからの寄稿。
アイネスフウジン、マルゼンスキーに続く第3弾は・・・シアトルスルー

すでに後継種牡馬のさらにその後継が活躍している時代。
歴史的な名馬の血は日本の競走馬にも受け継がれています。

今回はtemporalisさんと共に少しの間、彼が現役として活躍していた時代に
タイムスリップしてみたいと思います(^^)g

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日本で伝説の名馬マルゼンスキーが誕生した1974年、
アメリカでも1頭の名馬が誕生しました。
その馬の名はシアトルスルー、アメリカ競馬史上唯一頭、
無敗で三冠を制した馬であります。

第1章【醜いアヒルの子

彼の母はマイチャーマーというフェアグラウンドオークス(G2)勝ちを含む
6勝馬で、僅か5、6頭ばかりの繁殖牝馬を持つだけの小さな牧場の主
ベン・カスルマンはこの馬を何とか繁殖として成功させたいと考えました。
そして大種牡馬ボールドルーラーを繋養する名門クレイボーン牧場へと出向きますが、
当初配合相手にと考えていたボールドルーラー直子のハシントは既に予約が一杯、
止む無くクレイボーン牧場が薦めてくれた種付け料僅か5000ドルの
ボールドリーズニング(ボールドルーラーの孫)を付ける事に。
このボールドリーズニングは12戦8勝、ステークス勝ちもありベルモント競馬場
ダート6Fのコースレコードを出すほどのスピードが評価され種牡馬となりましたが、
種付け中に牝馬に蹴られた怪我が元で死亡、僅か3世代の産駒を残しただけに
終わりました。

こうして生まれた馬がシアトルスルーなわけですが、生まれつき右後脚が
外向し
ていた上、やたらと大きい体に更にビッグサイズの頭、
尻尾はポニーのように短いときていて、見栄えのしない事この上ない馬体でした。
牧場では「醜いアヒルの子」というあだ名が付けられましたが、
これは後の彼の大活躍を思えば的を得た〝愛称"と言っていいでしょうね。
この見た目の悪さのためキーンランドの2歳セールへの出場を断られ、止む無く
一般のセリへ出されましたが、ここで獣医師のジム・ヒル夫妻と材木商の
ミッキー・テイラー夫妻の共同馬主によって1万7500ドル(当時の日本円で約500万円)
で落札されました。
シアトルスルーの名はこのテイラー夫妻の出身地シアトルとヒル氏の出身地である
フロリダ州の湿地地帯スルーを組み合わせたものだそうです。

そして2歳となった1976年9月、シアトルスルーはデビュー戦を迎えます。
調教で素晴らしい動きを見せていた事で1番人気には推されましたが、
血統的な地味さと一般のセリ出身という背景からか単勝は3.6倍とそれほど
大きな注目を集めていた訳ではありませんでした。
しかし蓋を開けてみれば圧巻のレースぶり。
スタート後しばらくしてからじっくりと先頭に立つと、あとは後続に影をも踏ませぬ
5馬身差の大楽勝、D1200Mを1分10秒2で駆け抜けたのでした。

続く一般戦(D1400M)も出遅れはあったものの、スピードの違いで先頭を奪うと、
持ったまま3馬身半差の逃げ切り勝ち、走破時計は1分22秒0でした。
こうなるともう並の馬でない事は明白です、次走はシャンペンS(D1600M)GⅠに
挑戦する事となりました。

このレースは〝凄い"の一言ですね。
スタートしてからいつものようにスピードの違いで先頭に立つシアトルスルー、
2番手につけるのはベルモントフューチュリティーS(G1)を制している
フォーザモーメントです。
400M通過は23秒2、800M通過は約46秒、素晴らしい高速平均ラップで飛ばす
シアトルスルー、しかしフォーザモーメントが意地で直後まで迫って来ます。
1200M通過は約1分10秒、速い!

そして直線へ。

必死に喰らいつこうとするフォーザモーメントですが楽な手応えの
シアトルスルーにじわじわ引き離されていきます。
直線半ばでは完全に独走状態、鞍上のクリュゲ騎手も後ろを振り返る余裕を見せ
全くの馬なりで2着フォーザモーメントに9馬身4/3差をつけゴールイン!
勝ち時計は1分34秒4、これは奇しくもマルゼンスキーが同じ年の朝日杯で叩き出した
スーパーレコードと同タイムなのです。
もちろんこれはレースレコードであり2歳レコード、時計の出るアメリカのダート
とはいえ、あのマルゼンスキーが芝で叩き出したレコードに馬なりで同タイムとは
驚くばかりです。

※続きます。

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