けいけん豊富な毎日

日本の名馬(マルゼンスキーpart2)  担【temporalis】

マルゼンスキー物語 ~伝説は永遠に~

その後、きさらぎ賞を目標にしていたマルゼンスキーでしたが、
調教中に軽い骨折をしてしまい止む無く休養に入ります。
復帰したのはクラシックシーズンたけなわの5月7日、
またもや平場のオープン(東京 芝1600M)からでした。
ここでも楽々と皐月賞5着馬ロングイチーを7馬身置き去りにし、
その実力を見せ付けます。


「ダービーに出させて下さい。枠順は大外でいい、他の馬の邪魔は一切しません。
 賞金もいりません。この馬の実力を確かめるだけでいいんです。」


有名な中野渡騎手の発言ですが受け入れられる筈もありません。
しかし、〝残念ダービー"とも言われる次走、日本短波賞(中山 芝1800M )で
マルゼンスキーは空前の仰天パフォーマンスを見せるのです。


私はこのレースを『名馬十番勝負』という市販のビデオで初めて見ました。
朝日杯のVTRでその強さは十分過ぎる程に分かっていましたが、
ここで選ばれているのは違うレース、果たしてどんな光景が映し出されるのでしょう。

不良馬場もなんのその、マルゼンスキーはスタートから勢い良く飛び出します。
そして、いつものようにあれよあれよという間に後続を置き去りに。
バックストレートに入った辺りではもう10馬身近く差がついたでしょうか、

〈何だ、またぶっちぎりか?〉

そう思った時、予期せぬ事態が。

何故かマルゼンスキーが徐々に減速し、3コーナー辺りではゆったりとした
キャンターくらいのスピードになったのです。
みるみるうちに後続との差が詰まり、遂には2番手を追走していた
インタースペンサーに内から並びかけられるマルゼンスキー。

〈故障か?遂にマルゼンスキーが負けるのか?〉

スタンドがどよめきます。
しかし、ここからがマルゼンスキー劇場の始まりでした。
馬上で気合を入れる中野渡騎手に
「え?まだレース終わってないの?」
とばかりに再加速を開始するマルゼンスキー。
驚いたのは後ろから勢い良く並びかけて来たインタースペンサーが
一度も前に出られなかった事、何という加速力でしょう。

再びジワジワとリードを広げ4角を先頭で回るマルゼンスキー。
そして直線、中野渡騎手のムチが入るとグングンと
後続を突き放していくではありませんか。
テレビ画面に映し出される信じられない光景に私は唖然とするばかり。
3コーナーで一度エンジンを止めながら、再び2着馬を7馬身もちぎって
ゴールインしてしまったのです。

相手が弱過ぎた? いえいえそんな事はありません。
この時の2着馬はプレストウコウ、この後秋に古馬混合の京王杯AHで
僅差2着してからセントライト記念を勝ち、続く京都新聞杯では
ダービー馬ラッキールーラを破りレコード勝ち、更には菊花賞まで
レコードでぶっこ抜いてしまうほどの強豪なのです。
しかし、何故マルゼンスキーは失速してしまったのでしょう。
中野渡騎手によると、

「あれは3コーナー過ぎでレースがお終いだと馬が錯覚したんだろうな。
実は帰し馬の時、あそこで一度馬を止めているんです。それを覚えていたんだね。」

だそうで、なるほどそうかと以前は私も納得していました。
しかし、今回VTRを見直してどうにも腑に落ちないところがあるのです。

それはマルゼンスキーの失速は明らかなのに中野渡騎手に全く焦りが見られない事、
そしてまるでインタースペンサーが並びかけて来るのを見計らったように
馬に気合をつけているようにしか見えないのです。

私が推測するには、これは中野渡騎手が仕掛けた演出だったのではないかと。
いつものようにぶっちぎって勝つだけでは面白くない、
マルゼンスキーの強さをより鮮烈に満天下に示すには・・・
そう考えてマルゼンスキーを一度止めたのだとしたら、
これはマルゼンスキーだけでなく中野渡清一という男の伝説でもありますね。


この驚愕のレースの後、マルゼンスキー陣営が次走に選んだのは
夏の札幌で行われる短距離S、何とダートの1200M戦でした。
しかし、更に驚くべき事に、このレースにはあの天馬トウショウボーイが
参戦を表明したのです。

1年違いで生まれたこの2頭の超快速馬同士の対決が実現すれば、
これは歴史に残る名勝負になったに違いありません。
しかしながらトウショウボーイは調教中に脚部不安を発生、
夢の対決は持ち越しとなりました。
こうなればマルゼンスキーに敵はありません、初ダートも何のその、
1分10秒1(良)のレコードでまたもやヒシスピードを1秒6置き去りにする
圧勝劇でありました。


しかし、結果的にこの短距離Sがマルゼンスキー最後のレースになってしまいます。
8大競争中、持込馬が唯一出走できる有馬記念を目前に屈腱炎を発症したのです。
その時の有馬記念こそ、あのテンポイントとトウショウボーイが
日本競馬史上最高の名勝負と言われる壮絶なマッチレースを繰り広げたあの舞台、
もしここにマルゼンスキーが加わっていたら歴史は変わっていたのでしょうか。

彼が走った平均レース距離は1350M、最も長いのが日本短波賞の1800M、
果たして距離が持ったのか?
その答えは彼の息子達が出してくれました。
菊花賞馬ホリスキー、レオダーバン、ダービー馬サクラチヨノオー、
宝塚記念馬スズカコバン・・・


一度も檜舞台に立つ事無くターフを去った無冠の帝王マルゼンスキー、
引退式の日、スタンドで見送るファンが誇らしげに掲げた横断幕には
こう書かれていました。
  
 「さようならマルゼンスキー、語り継ごうお前の強さを」

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