けいけん豊富な毎日

日本の名馬(マルゼンスキーpart1)  担【temporalis】

マルゼンスキー物語 ~怪物伝説~


《あの、マルゼンスキー》


何度となく目にし、耳にしたフレーズでした。
8戦8勝、2着につけた合計着差が61馬身、朝日杯3歳Sでのスーパーレコード・・・
その数字を一見しただけで、とんでもなく強い馬だった事は分かりました。
しかし当時は彼のレースをVTRで見るという機会がなかなか無く、
まさに〝伝説の名馬"として想像を膨らませる、そんな存在だったのです。
私は、アイネスフウジンが朝日杯でこのマルゼンスキーの記録と並んで以来、
彼のことが気になって、気になって仕方がありませんでした。

〈マルゼンスキーのレースが見たい〉

その願いが叶ったのはそれから1年以上後、広島市内のWINSでの事でした。
普段は広島市内に住む友人に馬券の購入を頼んでいて殆どWINSに足を運ばない
私は知らなかったのです、そこで過去の名レースのVTRが観れる事を。
「おお、マルゼンスキーの朝日杯があるじゃないか!」
私は速攻で再生ボタンを押し、息を呑んでスクリーンを見つめました。

マルゼンスキーのスタートはあまり良くありませんでした。
しかし、馬なりでグングン加速するとあっという間に先頭に立ち、
後続を離して行きます。
鞍上の中野渡騎手はガッチリ手綱を抑えていますが、見た目にも
その有り余る力が伝わって来る、それほどマルゼンスキーの走りは
力感に溢れていました。
後続からは唯一、2番人気のヒシスピードが意地で喰らいついて来ますが、
その差は3馬身、4馬身、5馬身と徐々に開いて行きます。
そして直線に入ると完全にマルゼンスキーの独走状態、
ヒシスピードとの差は更に6馬身、7馬身、8馬身・・・・・
一体どこまで開くのでしょう。

直線半ばを過ぎて遂に中野渡騎手のムチが入ると、
もう相当にカメラを引かないと後続の姿は映りません。

マルゼンスキーがゴール板を駆け抜けた時、2着ヒシスピードは
遥か13馬身後方でもがいていました。

〈凄い、凄過ぎる・・・〉

正にそれは戦慄のレース、初めて《あの、マルゼンスキー》を
目の当たりにした瞬間でした。
勝ちタイムは驚愕の1分34秒4、高速化した現代の馬場では驚くような
時計ではありませんが、当時の馬場ではこれは突出したものだったのです。


マルゼンスキーはこの朝日杯までに3戦を走っていましたが、その内容は

新馬     中山芝1200M良 1着 1分11秒0 大差  単勝130円
いちょう特別 中山芝1200M良 1着 1分10秒5 9馬身  単勝100円
府中3歳S   東京芝1600M重 1着 1分37秒9 ハナ  単勝110円

新馬、いちょう特別は馬なりでの楽勝、おや?と思うのは3戦目、府中3歳Sですね。
このレースでは完全に中野渡騎手は油断をしていました、いつも通りゆっくりと
回って来れば勝てると。

しかしながら、ここにはこれまでの相手とは少し力の違う馬が出走していました。
過去2戦では直線に向いて馬なりで離す一方だったのに何と並びかけて来た馬が、
ヒシスピードです。
中野渡騎手は泡を食い、慌ててマルゼンスキーの手綱を押しますが動揺が馬に
伝わったか、一気に加速が出来ません。
勢いの違いでマルゼンスキーの前に出るヒシスピード、
〈この馬に乗ってて本当に負けちゃうのか?〉焦りに焦る中野渡騎手。
しかしマルゼンスキーは競っても強かった、ゴール手前でヒシスピードを抜き
返すとハナ差を保ってゴールしたのでした。

このレースがあったので次走の朝日杯では単勝130円と新馬と並ぶ生涯最高の
倍率となったのですが結果は上記の圧勝。
同じ馬相手に同じ距離でハナ差の後13馬身差、もちろん油断しなかった事も
ありますがもっと大きな理由がそこにはありました。

マルゼンスキーは生まれながらに脚が外向しており、強い調教を課すと
故障する危険が付き纏っていたのです。
そのためいつも6分~7分程度の仕上げでレースに臨んでいましたが、
「朝日杯だけは絶対に勝ちたい」という馬主さんの意向により
この時だけは目一杯の仕上げを敢行していたのです。


こうして最優秀3歳牡馬に選出されたマルゼンスキーですが、
この先華やかなクラシックロードへと進む事は出来ませんでした。

何故ならば彼は母シル(父ニジンスキー)のお腹の中に入ったまま日本へ輸入され、
その後誕生したいわゆる持込馬だったためクラシックへの出走権がなかったのです。
マルゼンスキー以前にはヒカルメイジ(ダービー)、ジュピック(オークス)、
以後にはニシノフラワー(桜花賞)といった持込馬のクラシックホースが
誕生していますが、丁度その狭間で内国産馬保護の風に吹かれ
裏街道に押しやられたのがマルゼンスキーだったというわけです。


マルゼンスキーは年明け初戦に平場のオープン(中京 芝1600M)を選びましたが
ここでちょっとしたハプニングが起こりました。
あまりのマルゼンスキーの強さにタイムオーバーになるのではないかと
他陣営が恐れをなし、出走頭数が揃わなかったのです。
この時は、ある調教師さんが自厩舎から2頭出してくれて何とか5頭立てとなり
レースが成立、その代わりに

〈タイムオーバーにならないように加減して走ってくれ〉

と頼まれたとか。
単勝は当然の100円元返し、中野渡騎手は後ろを確認しながら走り、
1頭もタイムオーバーにする事なく、2着に2馬身1/2差をつけて
ゴールしたのでした。

※→第2章「伝説は永遠に

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