けいけん豊富な毎日

人生の転機は些細なところに  担【けん♂】

静岡から初めて大阪に出てきたのが・・・22年前。

それまで実家から出たことがなかった私に大阪に知り合いがいるわけもなく、
初めての1人暮らしは・・・本当に1人暮らし(爆)
学校に行けばそれなりに同級生と話したりもしますが
まだそれほど親しいわけでもなく、下宿に帰ればそこから
誰とも話すこともなく・・・1人でボーっとしているだけでした。

当時はパソコンもなく、携帯もなく・・・ゲームも持っておらず、
暇つぶしをするのも大変・・・。
実家にいる頃は自由に観ることが出来なかったテレビを
誰にも気兼ねなく好き放題観れる!と喜んだのもほんの束の間、
実際に観てみるとそれほど面白い番組があるわけでもなく、
すぐに飽きてしまいました。

学校の帰り道で見つけた古本屋で大量に小説を買い込んでみたりしたものの、
そうそう読み続けていられるわけもなく、これまたギブアップ。
※私はかなりの速読なのですぐに読み終わってしまう、というのも難点でした。

以前に少し書いたことがあったかもしれませんが、
私の住んでいた下宿は築30年以上・・・木造モルタル造りで
家賃は月に1万3000円という超格安&超オンボロアパートでした。

建物が傾いているので床(畳)に乾電池を置けばコロコロと転がり(笑)
トイレは俗に言うボットン便所(^_^;)
ドアからは隙間風が吹き込み、窓はサッシではなく木枠の窓・・・
水道はあっても湯沸し器がなく、当然のことながら風呂もなし。

最初の数日は風呂を我慢して水道で頭を洗う程度で誤魔化していましたが
さすがにそればかりではいられないので、近所の銭湯へ行こう、と
いうことになりました。

アパートがあった阪急の曽根付近は空襲で焼けたことがなかったそうで
古くからの家並みがそのまま残っており、細い路地は入り組んで
そこら中に行き止まりがあって複雑な造りになっていました。

アパートの玄関から銭湯の煙突は見えるものの、そっちに向かって
歩き始めても知らぬ間に道がカーブしていて、なんかまったく違う方向に
進まされてしまう・・・今考えても不思議な町でしたね(^^;

その日、今日こそは銭湯に行くと決めて共同玄関で靴を履いていると
あのー、銭湯の場所って知ってます?
と声をかけてきた奴がいました。

声をかけてきたのは学部は違うものの、同じ一年生のK山くん。
もちろん初対面でしたが、彼も銭湯の場所がわからずに困っていた
ということで一緒に行くことになりました。

道すがら何を話して行ったかは覚えていませんが、
アパートに知り合いが出来たのはなにやら嬉しく思ったことを覚えています。

それから数日後の夜、部屋のドアをノックする音が・・・

ドアを開けるとK山くんと知らない奴が2人。
どうしました?と尋ねるとK山くんがいきなり訊いてきたのは
君、麻雀出来る?」・・・でした。

・・・これが私の麻雀ライフの始まりでした(^^;
この晩に知り合った工学部のY田くん、経済学部のT川くんとは
その後も何度もジャラジャラと夜を徹する日々が続くことになり、
面子は次々に増え続け、私の部屋に来た人数は50人以上・・・。
手には麻雀ダコ、手首には卓ズレ、牌を触らない日は年間に10日もなく、
まさしく気が狂ったように打ち続ける日々が始まるなんて
このときには想像もしていませんでした(爆)

この最初の麻雀を企画したK山くんは数日後に
仮面浪人をしてT大を目指す
とさっさと大学を辞めてアパートを出て行ってしまったわけで
その後一度も会うこともなく・・・どこでどうしているのかも知りません(爆)

K山くんが投げた小石がこれほどに大きな波紋を呼んだとは
思ってもいないでしょうね(^^;
もしかしたら麻雀に誘ったことすら忘れているかもしれません。

あの日、あの時、銭湯に行こうと思わなければK山くんと
出会うことはなかったわけで、もちろん麻雀もしていなかったと思います。
それがまさかこんな歳まで麻雀に関わることになるとは・・・

人生の転機・・・本当に些細なことが大きな分かれ道になっていたなぁと
今更ながらしみじみと思い出してしまいました。

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