けいけん豊富な毎日

愛国心        担【けん♂】

教育基本法改正(個人的には『改訂』というべきだと思ってますが)
にともない、『愛国心』という言葉を明記すべきかどうか?が
話題になっています。

ものすごく冷めた意見を言えば・・

『法律の中にある一言なんてほとんどの人が知らないし
意識しない。書いてあろうがなかろうが影響なんてないに等しい。
言葉遊びに過ぎないんじゃない?』


ってことになるんですけど(同じ印象持つ人もいると思う)
今回の問題は実はもっと根が深いと思われます。

愛国心』ってなんですか?

こう問われたときに福島瑞穂(左翼)でも鈴木邦男(右翼)でも
「周りの人、郷土の姿を愛する事」という内容で一致するようです
→4/30たかじんのそこまで言って委員会

しかし『愛国心』という言葉に極端な拒絶反応を示す人達が
たしかに多く存在します。
曰く・・

・戦前の戦争教育に戻るきっかけになる!

・軍国主義化をすすめる要因になる!


愛国という言葉は「忠君愛国」につながるということですね。
愛する国(天皇)のため全てを捧げよ
戦前の滅私奉公こそが『愛国』なんだと。

結局、整理すると優先度の問題が浮かび上がってきます。

・愛する国家のために個人の幸せを犠牲にする

・個人の幸せを守るために国家があり、自分達を守ってくれる
 国家を愛する


戦前の教育は明らかに「国家>個人」であり、
それが引き起こした戦争に対する拒絶反応を日本人に植え付けました。
愛国心という言葉は国家に対する愛情の強制だ、というイメージを
感覚的に」持ち続けている人達がいるのも仕方がないことかもしれません。
ただ戦後まったく価値観は変わり、国のために個人を犠牲にすること
なんかまったく考えられない時代になっています。
今の時代に愛国心が軍国主義に直結すると「論理的に
考える人はほとんどいないんじゃないでしょうか。

海外では愛国心という言葉に対して日本のように
違和感を抱えている国はほぼ存在しないでしょう。
実はこれには国家が歩んできた道筋が関係しているのだと思います。

民主主義が生まれたのはフランス。マリーアントワネットの時代です。
当時、支配階級が権力を独占し一方的に国民を支配する、というのが
国家の姿だったわけです。もちろん日本も同じ姿でした。

国家のための国民から国民のための国家へ
これが民主主義の原点であるわけで、この行動を起こしたのは
日本では一体どういった人達だったのでしょうか?

300年にわたる徳川幕府を倒し明治維新が達成されました。
これが日本の民主化のスタートなわけですが
よくよく見てみると明治維新後の閣僚(つまり新しい支配階級)は
上級武士で占められています。
国家は国民の手に入ったわけではなく、別の「支配階級=国家」の
手に移っただけだったわけですね。彼らは海外の制度をマネをして
民主主義を国家の仕組みに取り入れました。
つまり日本の民主主義のスタートは
『民衆が自分達の手で、自分達の血で手に入れた』ものではなく
『新しい支配階級に与えられた』ものだった、
ということですね。

「新しい支配階級」が自分達への忠誠を国民に強要するのは
必然だったと思います。
そもそもそれ以前の時代と価値観も変わっていないわけですから
武士の価値観=武士道』を基準に国家と国民の関係を
規定していくわけで、そこから生まれたのが

忠君愛国
滅私奉公


といった戦前教育だったと考えられます。
愛国の「国」とは「支配階級」と同義であり
郷土や自分達の周りの小さな社会の延長線上のものでは
なかったわけです。

敗戦を経験し、支配階級は解体され(実は一部残ってますが)
今、日本人の心はある意味ダブルスタンダードになってきて
いるんじゃないでしょうか。
愛するもののための自己犠牲の精神
を美しいものと感じ、そういう心を日本人らしいと思い、
誇りを持っています。
その一方で
個人の幸せを優先し、国家への忠誠の心を持たない
という自己犠牲とは正反対の価値観を持っています。

自分や自分達の周りの人、郷土を愛している
       ↓
それらを守るためには自己犠牲の精神も必要だ
       ↓
自分達の周りの人や郷土の延長線上に「国家」がある
       ↓
では「国家」を守るために自己犠牲の精神を持つべき?


言葉のニュアンスの問題ではなく日本人の心の問題として
「愛国心」について考えてみる必要がありますね。

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