けいけん豊富な毎日

芦毛の怪物 part2   担【temporalis】

そして遂にGⅠの晴れ舞台、天皇賞春へ向かうことになりましたが、
前哨戦の阪神大賞典で思わぬ苦戦を強いられたタマモクロスのここでの評価は
微妙なものでした。
ダイナカーペンター、マルブツファーストといった伏兵の域を出ない馬を相手に
ギリギリの勝負、グレイソブリン系は中距離までとのイメージもあり阪神大賞典
より更に200M距離が延びるこの舞台ではどうか、と不安視する声も少なからず
あったのです。
それでも他の有力馬と言えばタマモクロスに2戦続けて敗れているGⅠ2勝馬
メジロデュレン、ダービー馬メリーナイスも前年の8月に行われた函館記念(2着)
以来の久々、阪神3歳S(GⅠ)の勝ち馬ゴールドシチーも善戦は続くものの、
なかなか勝ち切れていない状況で、混戦の中タマモクロスは押し出された形で
単勝4.4倍の1番人気に推されました。
このレースは小原厩舎、そして南井騎手にとっても勝てば初のGⅠ制覇となるレース、
特に南井騎手は既に700勝を挙げ、前年には関西リーディングジョッキーに輝いた
にもかかわらずGⅠタイトルとは無縁だっただけにここに賭ける思いは
相当なものでした。

ゲートが開くとタマモクロスはここのところ恒例とも言える後方からの競馬に。
しかし、ここは長丁場の3200M戦、焦ることはありません。
マヤノオリンピア、メイショウエイカンの2頭が1000M通過61秒1という稍重馬場
としては早目のペースで引っ張る中、南井騎手は離れた馬群の中にタマモクロス
を置き、じっとしています。
レースが動いたのは3コーナー過ぎ、スタミナに自信のあるメジロデュレンが
一気に上がって行き4コーナーでは先頭まで躍り出ました。
これについて行ったのが13番人気の伏兵ランニングフリー、2頭の脚色は良く
マッチレースになるのか?
その時、内へ鋭く切れ込んだ馬の姿が目に入りました、タマモクロスです!
タマモクロスの脚勢は前2頭を遥かに凌ぎ、あっという間に交わし去ると
グングン差を広げてゴールへ向かって一直線。
戦前に囁かれた距離不安など全くの杞憂、2着ランニングフリーに3馬身差を
つける圧勝劇で見事GⅠホースへと上り詰めたのでした。
この着差にもかかわらずムチを連打した南井騎手、破れたゼッケンがその思いの
強さを物語っていました。

晴れてGⅠ馬となったタマモクロス、次なる目標は春のグランプリ宝塚記念です。
ここで大きく立ちはだかるのは快速馬ニッポーテイオー。
前年秋の天皇賞を5馬身差で圧巻の逃げ切り勝ち、続くマイルチャンピオンシップも
2番手から鮮やかに抜け出しこれまた5馬身差で圧勝、この年の安田記念までも
勝利してGⅠ3勝は現役最強馬を名乗るに十分な実績です。
ニッポーテイオーという馬は見た目にも猛々しく強そうで、
「俺について来い!」とばかりに前脚を高く上げて地面に叩きつける走法は
豪快そのもの、実際1番人気に推されたのはタマモクロスではなくニッポーテイオー
の方でした。
しかし、やせっぽちでくすんだ鼠色の馬がレースで見せたパフォーマンスは
その外見とは裏腹の圧倒的なものでした。
2番枠から珍しく好スタートを切ったタマモクロスは中団につけて前を射程圏に
入れての追走、対するニッポーテイオーは持ち前のスピードを生かして楽に
2番手につけています。
4角で満を持して先頭に躍り出るニッポーテイオー、その外からいつの間にか
上がってきていたタマモクロスが早々と並びかけていきます!
慌てたように抵抗を試みるニッポーでしたが、その脚色の違いは明らか。
まるでネコ科の動物のように全身をしなやかに使ったフォームでグイグイと
差を広げて行くタマモクロス、ゴールではあの王者ニッポーテイオーを2馬身半
置き去りにしていました。
ニッポーテイオーにとっては2200Mは少し長かったのかも知れません。
それにしてもGⅠ3勝馬を子ども扱いにしたタマモクロスの強さには感嘆する他
ありませんでした。

これで「現役最強馬はタマモクロス」、そう言われても当然なところですが、
実はこの春、一つ年下にとんでもない馬が現れていたのです。
その馬の名はオグリキャップ。
地方笠松競馬から12戦10勝(2着2回)という実績を引っ提げ中央競馬に殴り込みを
かけると、ペガサスS→毎日杯→京都4歳特別→ニュージランドトロフィーと何と
4歳(現3歳)重賞を4連勝!
特にニュージーランドトロフィーでは直線持ったままの全くの馬なりで2着に
7馬身差をつける圧勝劇、しかも勝ち時計の1分34秒0は安田記念のニッポーテイオー
の勝ち時計1分34秒2を上回っていたのですからタマモクロスの現役最強馬襲名に
待ったがかかるのも仕方がありません。
タマモクロスもオグリキャップも同じ芦毛、しかも2頭とも500万円の廉価で
買い取られた全く期待されていなかった境遇から這い上がって来たとあって、
この両雄の頂上決戦には大きな注目が集まりました。

決戦の場は東京府中の芝2000M、天皇賞秋です。
タマモクロス陣営は秋のローテを天皇賞秋→ジャパンカップ→有馬記念の
3戦に定め、飼葉食いの落ちやすい体質を考えて天皇賞秋へはぶっつけで
臨むことになりました。
対するオグリキャップはタマモクロスとは対照的に食欲モリモリのタフネスホース、
ニュージーランドトロフィーの後も初の古馬との対戦となった高松宮杯で前年の覇者
ランドヒリュウを撃破して優勝、秋緒戦の毎日王冠でもダービー馬シリウスシンボリ
を難なく退けて中央重賞6連勝(地方からは14連勝!)を飾っていました。
強い馬同士の初対戦というのは本当にワクワクするものですが、この2頭の対決ほど
盛り上がったことは無いように思います。
私はどちらかと言えば先輩でもあり、儚さを漂わせるタマモクロスの方に心情は
傾いていましたが、オグリキャップも無限の可能性を感じさせる魅力に溢れた馬、
どちらにも勝って欲しいと複雑な気持ちでレースを待ちました。
ローテの順調さから1番人気は2.1倍でオグリキャップ、
ぶっつけの不安から2番人気となったタマモクロスですが、それでも単勝は2.6倍と
人気は拮抗しています。
さあ、いよいよゲートイン、ドキドキは最高潮です。
そしてスタートが切られました!

「!!!!」

そこで目にした光景は予想だにしなかったものでした。
何とスタートを決めたタマモクロスが逃げるレジェンドテイオーを2番手グループで
追走しているではありませんか!
どよめくスタンド、これで大丈夫なのか?
対するオグリキャップは中団追走、こちらはいつも通りです。
そして、徐々に2番手グループから抜け出し、単騎2番手で先頭を追うタマモクロス。
逃げるレジエンドテイオーのペースは1000M通過が59秒4と淀みない平均ペース、
決して楽な流れではありません。
前を行くタマモクロスを見てもオグリキャップ騎乗の河内騎手はその末脚に揺るぎない
自信を持っていたのでしょう、慌てずじっくりと構えています。
しかし、南井騎手にも全く焦ったような様子はありませんでした。
何故ならタマモクロスは2番手でピッタリ折り合っていたからです。
そしてレジェンドテイオーが馬群を引っ張ったまま直線へ。
タマモクロスは2番手から前を追撃態勢、
オグリキャップは外に持ち出してトップギアに入れます。
レジェンドテイオーの逃げ脚は衰えを見せず簡単にはつかまえられないか?
しかし、タマモクロスの手ごたえはそれを遥かに上回っていました。
持ったままでじわじわと差を詰めると坂を上がったところでついにレジェンドを捉え、
先頭に躍り出ます。
追ってくるのはやはりオグリキャップ!
首をグイグイ前へ伸ばすダイナミックなフォームでタマモクロスに迫ります。
南井騎手は後方から追ってくるオグリキャップを確認してようやくゴーサイン。
早目に先頭に立ちながらも更に加速するタマモクロス、何という強さでしょう。
そして何という美しい走り!
私はタマモクロスほど綺麗なフォームで走る馬を他に知りません。
オグリキャプも最後の力を振り絞って懸命に追いますが、タマモクロスの尻尾まで
あと少しに迫ったところで苦しくなり内にヨレ始めます。
もうここから差が詰まることはありませんでした、〝世紀の芦毛対決″を制したのは
タマモクロスです!

「5歳馬の意地、4歳馬をねじ伏せました!」

実況の言葉通り、先輩タマモクロスが貫録を示した見事な勝利でした。
タマモクロスが最後の1ハロンで刻んだラップは11秒5、これではいかに
オグリキャップといえど交わし去るのは不可能です。
タマモクロスとオグリキャップの差は1馬身1/4、そこから3着に粘った
レジェンドテイオーまでが3馬身ですからいかにこの2頭の力が抜けていたか
分かるでしょう。
天皇賞春秋連覇はあのシンボリルドルフでさえ成し得なかった史上初の快挙、
私も見ていてタマモクロスという馬の強さに本当に興奮したのを憶えています。


次走ジャパンカップでは日本の総大将として凱旋門賞馬トニービンを抑えて堂々の
1番人気に推され、そのレース内容もそれに相応しいものでした。
後方からの競馬になったものの、大外を豪快に捲って直線半ばでは堂々と先頭に立つ
横綱相撲・・・かと思われました。
ところが、ここから一緒に上がってきていたアメリカの伏兵ペイザバトラーの鞍上、
名手クリスマッキャロンの秘策に屈してしまう事となります。
タマモクロスを徹底的に研究していた彼は、その類稀なる勝負根性を発揮させぬよう、
ペイザバトラーを内へ一気に切れ込ませタマモクロスから遠ざけたのです。
相手を見失ったタマモクロスの隙を突いて一気に先頭に立ったペイザバトラー。
ゴール前では再び差を詰めていったタマモクロスでしたが時すでに遅し、
1/2馬身及ばず実に14か月ぶりの敗戦となりました。
それでもまだなかなか日本馬がジャパンカップを勝てない時代、日本の総大将として
正攻法の競馬で力を示した内容は称賛されてしかるべきでしょう。
ちなみに3着に健闘したのはオグリキャップ、タマモクロスとの着差は奇しくも
天皇賞秋と同じ1馬身と1/4でした。

そしてラストランとなった有馬記念。
最後にどうしてもタマモクロスに一矢報いたいオグリキャップはこの秋の激闘にも
関わらず相変わらず食欲旺盛で全くの疲れ知らずです。
一方、タマモクロスの体調はボロボロでした。
ジャパンカップの後、滞在競馬のため美浦トレセンに移動したのですが、強敵相手の
競馬で疲れが出たのに加えて新しい環境に馴染めず、すっかり飼葉食いが落ちて
しまっていたのです。
それでも陣営は出走を決断しました、王者として最後の最後に逃げるわけには
いかなかったからです。
当然タマモクロスの体調不良は世間にも伝わりましたが、それでも1番人気を譲る事は
ありませんでした。
2番人気には必勝を期して鞍上に当時のNO.1ジョッキー岡部幸雄騎手を迎えた
オグリキャップ、3番人気には阪神3歳S、マイルチャンピオンシップの
両マイルGⅠを7馬身、4馬身差でぶっちぎり、芝2000Mの函館記念では史上初めて
1分58秒を切る1分57秒8の驚異的な日本レコードを樹立したサッカーボーイ、
4番人気にはこの秋の菊花賞を5馬身差で圧勝した新星スーパークリークが続きました。
タマモクロス以外の人気上位馬はすべて1歳年下の4歳馬(現3歳馬)ばかりです。
この日、タマモクロスに跨った南井騎手はすぐに本調子でない事を感じ取ったそうです。
それでも、もう後には引けません、ラストランのゲートが開きます。
「ゲートの中でボーっとしていた」というタマモクロスは立ち遅れました。
そしてもう一頭、気性が激しくゲートが開く前に突進してしまったサッカーボーイは
前歯を折り血まみれで後方からの競馬になってしまいます。
一方オグリキャップは順調なスタートを決めいつも通り中団につけ、それを見る
ように直後にスーパークリーク。
レジェンドテイオーがゆったりとレースを引っ張り、隊列はほとんど変わりません。
レースが動いたのは3コーナー過ぎ、一気にペースが上がりオグリキャップは早くも
前を射程圏に入れています。
そしてタマモクロスもここでグーンと加速、大外を捲り上げながら4コーナーでは
もうオグリキャップのすぐ後ろまで迫る勢い、後ろにはサッカーボーイもついて
来ています。
直線に向いて先頭に躍り出たのはオグリキャップ!
しかし、グイグイと差を詰めてきたのはすっかり白い馬体となったタマモクロス!
更にその外から物凄い脚で追い込むサッカーボーイ!
しかし、道中ロスなく運んでいたオグリキャップにはまだ余力がありました、
天皇賞秋の時とは逆にタマモクロスを待っていた岡部騎手は並びかけられそうに
なったところでゴーサイン。
必死に追い抜こうとするタマモクロスですが逆に半馬身ほど出られ、
そのまま差を縮める事ができません。
サッカーボーイは距離が堪えたか、怪我の影響か最後に息切れ、代わって長丁場に
強いスーパークリークが追い込んで来ますがタマモクロスに半馬身差まで。
遂に3度目の正直でタマモクロスを破ったオグリキャップが歓喜のゴールインです!
それにしても人気馬が揃って上位で鎬を削る凄いレースでした。
オグリキャップとタマモクロスの体質の強弱の差が出たと言えばそれまでですが、
それもサラブレッドとしての資質の内、その点では間違いなくオグリキャップが
優れていました。
それでも体調が万全でない中、小回りコースで外々を回る大きな距離損がありながら
タマモクロスが最後の最後に見せた闘志は本当に素晴らしかった、
大きな拍手を送りたいと思います。
偉大な芦毛の先輩タマモクロスからバトンを受け取ったオグリキャップがその後、
日本競馬界を熱狂の渦に巻き込んで行ったのは皆さんご承知の通りです。


「風か光か タマモクロス」

年度代表馬に選ばれたタマモクロスのJRAポスターが作成されました。
私は歴代のJRAポスターの中でこれが一番好きですね。
夕日を浴びて空に駆け上がらんばかりに前脚を上げたタマモクロスに
このキャッチコピー、一目見て何だか胸が熱くなりました。

実はこの年、タマモクロスが勝った天皇賞秋の2週間後、ミヤマポピーという馬が
4歳牝馬3冠のラスト、エリザベス女王杯(GⅠ)を勝っています。
このミヤマポピーの母はグリーンシャトー、つまりタマモクロスの半妹で
錦野牧場の生産馬だったのです。
この兄妹の活躍により錦野さんは再び家族とのつながりを取り戻したと聞きます。
確かにタマモクロスの活躍は牧場存続には間に合いませんでした。
しかしながら、日本競馬史上に残る名馬タマモクロスを生産したのは紛れもなく
錦野さんなのです。
その信念と誇りは家族の絆となって実を結んだのではないでしょうか。

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芦毛の怪物 part1   担【temporalis】

通常、有馬記念が終わっても年明けの金杯に向けての考察や、年間のデータ整理などで
休みなく・・・というか変わりないペースでやっていたんですが、
今年は週頭からまたもやまともに睡眠時間が取れないまま大晦日突入。
先ほど帰宅しましたが、いつまともに寝たか思い出せない状態で・・・フラフラです。

今晩は少し休める予定ですが、明日はまた仕事。
(元旦も関係ないんで・・・)
とりあえず金杯に関しては間に合いそうもありません(>_<)

自分自身の考察やなんかはちょっと置いておいて、
競馬の語り部「temporalis」さんから過去の名馬に関するお話を頂いたので
そちらを紹介させて頂きます。

日本中が競馬に熱狂した時代・・・どんな話なのか
私も楽しみです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〝芦毛の名馬"と言えばどんな馬が思い浮かぶでしょう?
現役ならばGⅠ6勝のゴールドシップ、
驚異のロングスパートでGⅠ3勝を挙げたヒシミラクル、
ダート参戦で驚愕のレコード勝ちを連発、日本競馬界を震撼させたクロフネ、
デビューから15戦連続連対と抜群の安定感を誇ったビワハヤヒデ、
最強ステイヤーの誉れ高いメジロマックイーン、
スペシャルウィークを向うにまわし、クラシック2冠を制覇したセイウンスカイ、
そして何といっても空前の競馬ブームの立役者となった怪物オグリキャップ・・・
「芦毛の馬は走らない」と言われた時代が嘘のように近代競馬では
枚挙に暇がありませんね。
そんな名馬達の先輩に芦毛時代を切り開いた1頭のサラブレッドがいました。
その馬の名をタマモクロスと言います。



タマモクロスという馬を知ったのは彼が初めて重賞勝ちを収めた鳴尾記念
(GⅡ芝2500M)の後の事でした。
何でもまだ900万下条件の馬が53kgの軽ハンデとはいえGⅡに挑戦して勝って
しまったのだと。
しかも出遅れて道中は1000M通過が1分6秒8の超スローペースを最後方から追走、
普通なら全く競馬にならない展開ながらあれよあれよと言う間に先頭に追いつき、
直線では2着馬を6馬身突き放してしまったというではありませんか!
その上、タイムは2分33秒3のコースレコード、稍重馬場だったといいますから
もう驚く他ありません。
しかし、彗星のごとく現れたこのサラブレッドがここまで辿り着く事を想像できた
人は殆どいなかったと言っていいでしょう。
唯一人、生産者の錦野さんを除いては・・・


タマモクロスは多額の負債を抱えた錦野牧場が最後の望みをかけた生産馬でした。
父シービークロスは〝白い稲妻"の異名を持つ後方一気の末脚で魅了した個性派
でしたが、毎日王冠、目黒記念のレコード勝ちはあるものの、大きなタイトルは
無く種牡馬入りは微妙だったそうです。
そこでかねてからシービークロスの瞬発力に大きな魅力を感じていた錦野さんは、
シンジケート結成へ多くの人を説得し、種牡馬入りへ一役買っていたのです。
そんないきさつもあり、錦野さんは迷わず牧場一の繁殖牝馬グリーンシャトーに
種付料10万円と格安のシービークロスを付ける事を決めたのでした。
生れ落ちたタマモクロスを見て錦野さんは

「これは私が理想とするサラブレッドだ」

と、大きな期待をかけました。
しかしながら、そんな錦野さんの思いとは裏腹に血統的な魅力に欠け、見た目も
華奢に映るシービークロスの牡馬への評価は厳しく、結局500万円という廉価で
しか買い取ってもらえなかったのです。
数千万円で売れると見積もっていた錦野さんの落胆は大きなものでしたが、
『競走馬としてデビューさえしてくれれば、必ず大きなレースを勝って牧場の
窮地を救ってくれる』
そう信じて債権者達をタマモクロスにかける情熱で説得し、返済を何とか
先延ばしにしてもらったのです。


栗東の小原厩舎に入厩したタマモクロスでしたが、ここでも厳しい評価が
待っていました。
何せ牝馬のように華奢な上、臆病な性格で飼葉食いも非常に悪く、まともに
調教さえ積めないような状況で、小原調教師は
「とてもじゃないが走る馬とは思えなかった。」
と入厩当時を振り返っています。
それでもじっくりと調整され、満足な状態ではありませんでしたが4歳(現3歳)
になった3月1日、何とかタマモクロスはデビューに漕ぎ着けました。
この日を待ち侘びた錦野さんはどれだけの期待を持ってレースを
見つめた事でしょう。
しかし無情にもスタートから果敢に逃げたタマモクロスは直線ズルズルと下がり、
10頭立ての7着と惨敗したのでした。
折り返しの新馬戦(D1800M)でも4着に敗れた後、続くダート1700Mの未勝利戦で
ようやく初勝利を挙げたものの、再び芝に戻った次走400万下では落馬事故に
巻き込まれ競争中止のアクシデント、ただでさえ臆病なタマモクロスはこれが
トラウマになり馬群を怖がるようになってしまうのです。
どうしても芝のイメージが悪いので、以降ダートのレースを続けて使われますが、
そこそこ好走はするものの馬群で競馬ができない事もあり、4戦連続勝ち切れない
ままでした。

デビューから8戦して未だ400万下を卒業できないタマモクロスを見て、錦野牧場
の債権者達が黙っている筈もありません。
もはや錦野さんになす術はなく、ついに錦野牧場は倒産し、一家は離散しました。
牧場の宝でもあったタマモクロスの母グリーンシャトーは人手に渡りましたが、
新しい環境に馴染めず、間もなく腸捻転を発症してこの世を去りました。
錦野さんの無念はどれほどのものだったでしょう。
しかし、この事を知っていた筈もありませんが、ここからタマモクロスは覚醒
するのです。



「そろそろ芝を使ってみましょう。」

そう進言したのはタマモクロスの主戦、南井克己騎手でした。
前回の芝は競争中止のアクシデントがあったので、実質芝でレースをしたのは
デビュー戦のみ、彼は稽古の動きからもタマモクロスはもう少しやれていい馬だと
感じていたのです。
そして向かった芝2200M戦で信じられないような光景を目にする事になります。
スタートから4~5番手の好位につけたタマモクロスは直線に向くと後続をグングン
突き放していき何と2着に7馬身差をつけてゴールしてしまったのです!
しかも勝ち時計の2分16秒2は同日同コースで行われた菊花賞トライアル
京都新聞杯(GⅡ)のそれを0.1秒上回るもでしたから、競馬ファンのみならず、
関係者をも唖然とさせる大変身を遂げたのでした。
この強さは本物なのか?
半信半疑のまま次走藤森特別(400万下芝2000M)へ向かったタマモクロスでしたが、
ここでも今度は2着に8馬身差をつける圧勝劇、もう彼の力を疑う者はいません。
あまりの強さにやっと900万下に上がった身ながら、前述の鳴門記念挑戦、
そして圧勝へとつながったという訳です。

こうして一躍競馬界の超新星となったタマモクロスには、
「これだけの強さ、是非有馬記念へ」という声が当然のように上がりました。
オーナーも出走の意向を強く示しましたが、これにストップをかけたのは
小原調教師でした。
もともと飼葉食いの細いタマモクロスがデビューから休暇らしい休暇もなく
約10か月で11戦を消化、特に鳴尾記念の後はさらに飼葉食いが細くなっており、
このまま最高峰の戦いとなる有馬記念へ向かっては馬を潰してしまう、
とオーナーを説き伏せたのです。
オーナーは渋々諦めましたが、その代わりに翌年のスタートとなるレースを
小原調教師の考えていた日経新春杯ではなく京都金杯にして欲しいと希望しました。
年の初めのレースを勝てば縁起がいいからという理由でしたが、ここは小原調教師
が折れる形になりました。

年が明けて京都金杯(GⅢ・芝2000M)に臨んだタマモクロス、もうここでは誰もが
注目する堂々の主役です。
トップハンデの56Kを背負いながら単勝は2.2倍と抜けた1番人気、どんな勝ち方を
するかに興味は注がれました。
ところが、いざ蓋を開けてみると予想だにしない展開が待っていたのです。
鳴尾記念同様スタートで後手を踏んだタマモクロスは最後方からの競馬になって
しまいます。
まあ、これだけならばタマモクロスの力をもってすれば大丈夫、と大方の人はまだ
楽観視していたでしょう。
しかし、レースが進むにつれて雲行きが怪しくなってきます。
南井騎手が押せども押せどもタマモクロスは一向に走る気を見せず、ポジションは
後方のままで上がってくる気配はありません。
このレースは内回りコースで直線は僅か328m、4コーナーでもまだ最後方の
タマモクロスに場内は騒然とします。
この位置では外を回しては厳しいと内を突いた南井騎手、
しかし直線に向いた時、前方にはギッシリと馬群の壁が!

(今日はタマモクロスは負ける)

誰もがそう思いました。
が、ここから我々はタマモクロスの底力を見せつけられる事となるのです。
何とあの馬群が怖くて仕方が無かった臆病な馬が、僅かにバラけた前方の馬群の
隙間を内へ外へ、また内へと縫うように進出していくではありませんか!
その姿は正に〝白い稲妻″、あれよあれよという間に全馬を抜き去り、
堂々先頭でゴール板を駆け抜けたのです。
4角最後方からのごぼう抜きというレースならば何度か見たことがありましたが、
この馬込みをジグザグに走りながら一気に突き抜けるという離れ業はちょっと
他に例を見ない異次元のものでした。
しかも2~5着馬は全て4コーナーを先団で回った馬ばかりですから、
タマモクロス恐るべしです。

こうして縁起の良い金杯を制覇した次走、陣営が選択したレースは天皇賞春を
見据えた長丁場、阪神大賞典(GⅡ芝3000M)でした。
ここでの強敵は菊花賞、有馬記念と長距離のGⅠを2勝しているメジロデュレン。
鳴尾記念ではタマモクロスが完勝していますが、ハンデ差があってのもの、
メジロデュレンには距離実績がある上に今回は別定戦、そう簡単にはいくまいと
2強対決のムードが漂いました。
ところが、蓋を開けてみるとレースでタマモクロスを苦しめたのはメジロデュレン
ではなく、伏兵ダイナカーペンターでした。
ダイナカーペンターはゆっくりと先頭に立つとマイペースに持ち込みます。
1000M通過が1分6秒6、1600M通過が1分45秒8、2000M通過が2分11秒0と超のつく
スローペース、7頭立ての小頭数だった事もあり外に出しては掛かってしまうと、
南井騎手はタマモクロスを内に入れて何とかなだめていました。
前が楽をしているのは明らかで南井騎手は早めに動き、4角では3番手に押し上げて
直線に向くとタマモクロスにゴーサインのムチを入れます。
一気に内から交わしにかかるタマモクロスですが、逃げたダイナカーペンターも
内に進路を取り前を塞がれてしまいます。
それなら外へと進路を変えますが、今度は2番手を追走していたマルブツファースト
が内に切れ込んで2頭に挟まれる形に。
楽に先行した2頭には余力がある上、狭いところに入ってしまい大ピンチ。
16頭立ての金杯であれだけスイスイと馬群を交わしていけたのに、たった7頭立ての
レースでこんな窮地に追い込まれるとは競馬とは分からないものです。
それでも2頭の間をこじ開けてジワリジワリと差を詰めるタマモクロス、
3頭が鼻面を合わせたと見えたところがゴールでした。
写真判定の結果、タマモクロスとダイナカーペンターは1着同着、
マルブツファーストはハナ差の3着と史上稀に見る大接戦の末、タマモクロスは
辛くも重賞3連勝を飾ったのでした。

続きます。

イソノルーブル物語 part2   担【tempralis】

【シンデレラ・リベンジ】

この不運なレースの後、私の頭に浮かんだのは昨年の皐月賞の事です。
1番人気に推された逃げ馬アイネスフウジンがスタート直後に隣のホワイトストーンに
激しくぶつけられ、先手が取れずにゴール寸前ハクタイセイに差し切られたあのレース。
ルーブルの桜花賞と同じくアイネスフウジンの皐月賞も三冠レースの中で
最も勝てる可能性の高い距離だと一般的には思われていました。
しかしながら、日本ダービーの逃げ切りは至難と言われながら大方の予想を覆して
府中の2400Mをを鮮やかに逃げ切って見せたのです。

「気にするな栄治、負けた時に次に勝つ因を作るんだ。」

皐月賞敗戦後、中野栄治騎手に向けた加藤修甫調教師の言葉が蘇ります。

(そうじゃ、落ち込んでる場合じゃないぞ。この敗戦をオークスに生かさんと。)

それでも正直私にはアイネスフウジンの時のような自信はありませんでした。
フウジンは心拍数の少ない強心臓の持ち主で父も名ステイヤーを数多く輩出している
シーホーク、世間では〝早熟マイラー"扱いでしたが、私は長距離適性は
間違いなくあると確信できたのです。
ルーブルの場合も父ラシアンルーブルに関しては自身が長距離血統で
芝2400Mのオープン勝ちがあるエリモパサーも輩出しており、テスコボーイの
スピード色が強いとは言ってもアイネスフウジンと同じようにスタミナも兼ね備えている
可能性はあると思えました。
ただ、フウジンと違うのはあの激し過ぎる気性、2400Mという距離を持ちこたえるには
レース前、そして道中の消耗を極力抑え込む必要があり、それをやってのけるのは
至難の業に思えました。

それからもう一つ、オークスの枠順発表で更なる試練が待ち構えていたのです。
ルーブルが入ったのは何という事か逃げ馬には最も厳しい大外20番枠、
あのアクシデント以来、運に見放されてしまったのでしょうか。
しかし、決まったものは嘆いても仕方がありません、この条件でいかに勝利への道を
探していくかなのです。


オークス当日、私は気合いを入れて広島市内のWINSへ出かけました。
早々にルーブルの単勝馬券を購入し、レースが始まるまでの空き時間に
VTRルームに入るとラシアンルーブルと同配合であるマルゼンスキーの
朝日杯3歳S、そしてアイネスフウジンの日本ダービーを再生して
逃げ切りへのイメージを膨らませました。

オークスの1番人気はもちろん桜花賞馬シスタートウショウ。
距離不足と思われていた桜花賞で稍重馬場の中、1分33秒8のレコードタイムを叩き出して
2馬身差の快勝、その上名門トウショウ牧場産の良血馬とあっては単勝2.1倍と断トツの
支持を集めたのも当然でしょう。
続く2番人気には7.9倍でツインヴォイス。
3連勝で制した前走忘れな草賞(OP・芝2000M)では同じく芝2000MのG2、
サンスポ4歳牝馬特別の勝馬ヤマニンマリーンを2馬身突き放す強さを見せており、
好位から早目進出で抜け出す安定感抜群の脚質は脅威です。
3番人気には武豊操る社台ブランドの良血スカーレットブーケが9.5倍で続き、
イソノルーブルはようやくその次の4番人気。

桜花賞であれだけの人気を集めながらたった一度の敗戦、
それも大きなアクシデントによるものであったにもかかわらず
単勝オッズは12.1倍とこの馬への支持は急落していました。

しかし、桜花賞敗戦の悔しさは管理する清水厩舎スタッフを燃え上らせていたのです。
どうしたらルーブルのテンションを上げずにゲートインさせられるのか?
陣営が講じた策は覆面を二重にして雑音をシャットアウトする事でした。
そしてブリンカーまで装着してパドックに登場したルーブル、これが功を奏して
入れ込みはありません。
そして、ゲートイン直前にブリンカーは外され落ち着いたまま大外枠に入ったルーブル。
一瞬の静寂の後、運命のゲートは開きました。
大外枠を見つめる私の目に入ったのは素晴らしいスタートを切ったルーブルの姿でした。
引っ掛かる事もなくスムーズに加速していき、1コーナーを見事先頭で回っていきます。

「よしっ!」

私は小さく握りこぶしを作りました。
しかし勝負はこれから、ここからは松永幹夫騎手とルーブルとの戦いです。
桜花賞での敗戦は松永騎手を失意のどん底に叩き落しました。
有望若手騎手として頭角を現していた松永騎手でしたが未だG1での勝利は無く、
ルーブルと臨んだ桜花賞がこの上ないチャンスだったのです。
それをあのアクシデントによりチャンスを逃し、3歳年下であるシスタートウショウの
角田騎手に先を越されてしまったわけですからその心中は察して余りあります。

(頼む、何とか我慢してくれルーブル)

そう祈りながら乗っているのが分かるほど松永騎手はルーブルの上で微動だにしません。
幸い競りかけて来る馬もなく、思い描いた通りのスローペースに持ち込んだ
ルーブル&松永幹夫、あと少しの辛抱です。
そして遂に4コーナーを回り先頭で直線へ!
ルーブルの直後をマークして来ていたツインヴォイス、スカーレットブーケが一気に
襲い掛かってきます。

しかし松永騎手は慌てません、まだゴーサインは出さずぐっと我慢。
そして坂を上り切ったあたりでしょうか、いよいよツインヴォイスに交わされようかと
いうところで松永騎手は手綱をしごき、ルーブルを解き放ちます。
無駄な消耗を一切していないルーブルにはやはり余力がありました。
ジワリジワリとツインヴォイスを引き離していきます。
(よし、勝てる!)
そう思った時です、大外を猛然と追い込んで来る1頭の馬が目に入りました、
シスタートウショウです!
スタートでやや出遅れ、スローペースを後方からの追走になっていたにもかかわらず
この追い上げ、何という強さでしょう。
あっという間にツインヴォイスを交わすとルーブルに馬体を合わせて追い詰めます。
ゴールまであと少し、最後の力を振り絞って粘るルーブル、死力を尽くして追う
シスター、その差はあと僅か!

「頑張れ、頑張れルーブル!」

普段は猫のように大人しい私ですが思わず大きな声が出ていました。
そしてほぼ鼻面を合わせてゴール板を通過・・・

「よっしゃあ! 残った~!」

写真判定の文字が掲示されましたが私にははっきり判りました、
勝ったのはルーブルです。
正直2400Mでの力はシスタートウショウの方が上だと思います。
しかし清水厩舎スタッフの執念が、松永幹夫騎手の渾身の騎乗が、そして何より
その熱い想いに応えて持てる力を最大限に出し切ったルーブル自身の頑張りが
見事勝利を引き寄せたのです。

「あの桜花賞があったから今日の結果があるんだ」

清水調教師の言葉はまさにあの加藤修甫調教師の言葉を受けて返したかのようです。
そして、

「もうG1なんて一生勝てないんじゃないかと思いました。」

勝利ジョッキーインタビューで桜花賞レース後の心境をこう語った松永幹夫騎手。
ですが、この上なく勝気なルーブルを見事になだめ切った経験は大きな糧となり、
この後ファビラスラフインで秋華賞、キョウエイマーチ、チアズグレイスで桜花賞、
ファレノプシスでエリザベス女王杯、ヘブンリーロマンスで天皇賞秋と
牝馬とのタッグでG1を勝ちまくり〝牝馬の松永幹夫"の名を欲しいままにする事となるのです。

ルーブルはこの後、秋のエリザベス女王杯に十分に態勢が整わない中、
ぶっつけで出走しますがレース中に故障を発生して16着に敗退、そのまま引退となりました。
実質オークスで燃え尽きた形になりましたが、無名の小牧場に生まれ、見栄えもせず
安値で抽選馬として買われたルーブルが大きな挫折を乗り越えて樫の女王にまで
上り詰めたストーリーはまさにシンデレラ。
彼女を応援しながら共に泣いて笑ったあの春の思い出は、今でも私の胸を熱くします。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いかがだったでしょうか(^^)/

桜花賞で負けたからこそ、陣営も工夫を凝らし、松永幹騎手(現調教師)
もオークスで勝つために極限まで集中できたんだと思います。
そしてその経験が騎乗技術や育成技術の向上に活かされ、さらに
それは次の世代の騎手に受け継がれれいく・・・。

そう思うとあの年のオークスも今年のオークスに繋がっているわけで
今度は今年のドラマがどう未来に花開いていくのか、本当に楽しみになります♪

さて、今年のシンデレラは・・・

イソノルーブル物語 part1  担【temporalis】

競馬の語り部temporalisさんから新しい原稿が届きました。
今回取り上げられたのは・・・イソノルーブル
明日のオークスについて思案しつつ、過去のオークスに思いをはせる・・・
そんな感じで楽しんで頂けると幸いです。

91年・・・ラブ・ストーリーは突然に、どんなときも、SAY YES、といった
邦楽が街中に流れ、ターミネーター2やホームアローンといった映画が公開。
まだバブルが続いており、何やら日本が浮かれていた頃ですね。
大学生だった私は気が狂ったように麻雀に打ち込んで、完全に世間と隔絶されたような
生活を送っていた時期です(^^;

自分の部屋でいつものように麻雀を打っている最中に
競馬好きの友達が「トウカイテイオーが勝ったんだよ~」と泣きながら
駆けこんできたのが・・・93年の有馬記念。
そのトウカイテイオーが牡馬クラシックで無敗の2冠を達成したのが91年ですから
まだ競馬に関しては友人から聞きかじる程度・・・「競馬ってそんな楽しいんだ?」
くらいの感覚だったと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【抽選馬からクラシックへ・・・】

1991年春、この年の牝馬クラシック戦線は史上最高と言っていい盛り上がりを見せました。
とにかく牡馬顔負けの力を持った牝馬が何頭もいて、彼女達が集結したレースの行方を
想像しただけで胸がときめいたことが思い出されます。
そんな女傑達の中に私が激しく入れ込んだ馬がいました。
その馬の名はイソノルーブル、今回はオテンバ娘ルーブルのシンデレラストーリーです。

私が彼女のレースを初めて観たのはラジオたんぱ杯3歳牝馬S(G3・芝1600M)でした。
格付けこそG3ですが、現代で言えば阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)
に相当する3歳(現2歳)牝馬チャンピオン決定戦と言ってもいいレースです。

1番人気はミルフォードスルー。
函館3歳S(G3)の勝ち馬で、このレースでは後に朝日杯3歳S(G1)をレコード勝ちする
牡馬の大将格リンドシェーバーを破っています。
他にも札幌3歳S(G3)の覇者スカーレットブーケ、小倉3歳S(G3)を勝ったテイエムリズム等、
牡馬を蹴散らした強豪が揃いました。
果たしてどの馬が勝つのか興味津々の私、いよいよレースがスタートです。
1200Mの小倉3歳Sを逃げ切っているテイエムリズムが先頭に立ち、さすがに
この馬が速いかと思っていたら外から楽に交わしていく馬がいました。

イソノルーブルという初めて聞く名のその馬は颯爽と先頭に立つと、
「私についてきなさい!」とばかりに馬群を引っぱります。
その逃げ脚は4コーナーを回っても全く鈍ることなく、1番人気のミルフォードスルーも
3番手で追いかけますが差を詰められるどころかどんどん突き放していくではありませんか!
最後は後方で力を溜めたスカーレットブーケが懸命に追い込むもイソノルーブルは
その3馬身半前で悠々とゴール板を駆け抜けていました。

(強い、強いぞこの馬は!)

前年にアイネスフウジンの逃げ脚に魅せられ、すっかり逃げ馬贔屓になっていた私は
一発でこの馬の虜になってしまったのでした。

しかしながら、このレースでのルーブルは単勝8番人気と2戦2勝で迎えた馬にしては
戦前の評価が低過ぎました。
デビュー戦などは芝1000Mを58秒4と当時の3歳レコードをマーク、2戦目はダート1400Mを
後続に3馬身半差をつけて楽々と逃げ切って見せたのに何故?
その理由は彼女が《抽選馬》でその2戦共が抽選馬限定戦だったからに他なりません。

抽選馬とは今で言うJRA育成馬に当たるもので、セリによって売却される現代とは違い、
当時は馬産地とのパイプを持たない小馬主のためにJRAが競り落とした馬を育成して
抽選で決められた順番に割り当てるという制度でした。
そういった事情なので当然価格に制限があり、良血とは言えない抽選馬達に対する
《所詮抽選馬》という見方がルーブルの評価を下げていたのです。

実際ルーブルはこれまで重賞出走馬さえ一頭も出した事の無い繁殖牝馬5頭ばかりの小さな
能登牧場に生まれ、父ラシアンルーブルも大した競争実績もない種牡馬であったため、
落札価格は馬体検査合格馬としては最低設定の500万円と厳しいものでした。
ただ、ラシアンルーブルはあのマルゼンスキーに限りなく近い血統を持ち、5代血統表
の中に生じた三つのクロスによる血量が全く同じなのであります。
加えて母キティテスコは天馬トウショウボーイの父テスコボーイ産駒で、彼女の類稀なる
スピードを生む血統背景は十分にあったと言えます。
母父テスコボーイはアイネスフウジンと同じであり、これが私の応援魂を更に
燃え上がらせたことは言うまでもありません。

こうしてJRAの育成施設で競走馬として育て上げられたルーブルですが、彼女らしい
エピソードがあります。
負けず嫌いのルーブルは常に牝馬グループの先頭に立ち、そればかりか離れた前方を
走っている牡馬の集団を見つけるとそれまで追いかけて抜き去ってしまっていたとか。
栗東に入厩後も騎手を振り落としたり、他の馬を蹴飛ばしたりと、オテンバ振りを遺憾なく発揮、
それでも彼女の競争能力の高さはトレセン内でも噂になるほどでした。
そしてデビュー3連勝で重賞制覇を成し遂げた彼女は完全に《抽選馬》という枠を飛び越えて
誰もが認める〝クラシックの主役"へと躍り出たのであります。

明けて4歳(現3歳)となったルーブル、陣営は年明け初戦にエルフィンS(OP芝1600M)を
選びました。
単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に推されましたが危なげなく2馬身半差で逃げ切り勝ち。
貫録を示しましたが、レース後五十嵐騎手と清水調教師との間で騎乗法について意見の
食い違いが生じ、主戦は次走から若手の松永幹夫騎手に替わる事になりました。
松永騎手との新コンビ初戦は4歳牝馬特別(G2)、現在のフィリーズレビューにあたる
レースです。
この年は阪神競馬場が改修工事中で中京の芝1200Mで行われましたが
スピード能力に秀でたルーブルには全く問題無し、直線入り口までは
必死に喰らいついてきたトーワディステニーを直線に入るとグングン引き離し、
3馬身半差をつけ悠々とゴールイン!
デビュー5連勝となり松永騎手も初のG1制覇へ確かな手応えを掴みました。


そして、いよいよやって来た桜花賞当日、スポーツ新聞には『5強』の文字が躍ります。
5強とはルーブルの他に牡馬相手にききょうS(OP)→デイリー杯3歳S(G2)→ペガサスS(G3)
と3連勝してきているノーザンドライバー、ラジオたんぱ杯でルーブルの2着に敗れた後、
クイーンC(G3)を勝ち、チューリップ賞も2着と安定感抜群のスカーレットブーケ、
そのスカーレットブーケをチューリップ賞で2馬身半差で負かしデビュー3連勝を飾った
シスタートウショウ、そしてもう1頭ラジオたんぱ杯でルーブルに負けた後、
シンザン記念(G3)で再び牡馬を撃破してきたミルフォードスルーの5頭です。

そしてもう一点、注目すべきは若手騎手の激突、ミルフォードスルーの河内騎手を除いて
スカーレットブーケの〝天才"武豊騎手を筆頭に、ノーザンドライバーの岡潤一郎騎手、
シスタートウショウの角田晃一騎手、そしてイソノルーブルの松永幹夫騎手は何れも
この先の中央競馬界を担うであろう有望若手騎手ばかりなのです。

そんな中で堂々の1番人気に推されたのは松永幹夫騎手&イソノルーブルのコンビ!
牡馬一流どころとの対戦こそ無いものの、有無を言わせぬ圧倒的なスピード能力で
マイルまでならこの馬との見方が多かったようです。

この日の舞台は阪神競馬場が改修工事中のため京都競馬場、空前のハイレベルな混戦に
異様な熱気に包まれました。
前日の雨が残る稍重馬場でしたが、ルーブルは前走稍重で快勝していましたので
全く問題無し、私は勝利を確信していました。
しかし、スタートが近付くにつれヒートアップしていく場内の熱気はルーブルの敏感な
神経をどんどん高ぶらせていっていたのです。
事もあろうにルーブルはスタート直前に落鉄、1番人気馬のアクシデントに場内は騒然です。
装蹄師が鉄を打ち直そうとしますが元々気性の荒いルーブルのテンションが異常に上がって
しまっていて全くそれを許しません。
十数分間続いたでしょうか、場内には何のアナウンスも無いままついにファンファーレが
鳴り響きました。

「どうなったんじゃ?打ち直せたんか?」

雨がポツポツと落ち出した京都競馬場、胸のモヤモヤが晴れないままゲートは開きました。
ハナを切ったのはトーワディステニー。
ルーブルも交わそうと懸命に加速しますが交わし切れず2番手に。
いつもは他馬に前へ出る事を許さないルーブルでしたから嫌な胸騒ぎは膨らむばかりです。
しかし1000M通過は57秒6、これは馬場を考えるとトーワディステニーの明らかな飛ばし過ぎ、
直後を追いかけていたルーブルも相当脚を使ってしまっています。
4コーナー手前ではトーワディステニーを交わしにかかったルーブルでしたが、外を通って
シスタートウショウ、ノーザンドライバーの2頭が楽な手応えで捲くってきました。
直線に向くと一気に先頭に踊り出るシスタートウショウ、追いかけるノーザンドライバー。
ルーブルは抵抗する間もなく置き去りにされていきます。
後方で脚を溜めたヤマノカサブランカ、スカーレットブーケにも次々と交わされ、
もがきながらルーブルは勝ったシスタートウショウから離されること9馬身差の5着で
ゴール板を通過、私は呆然とテレビ画面を見つめていました。

ルーブルが鉄を打ち直さずに出走していた事が分かったのはレース後の事でした。
担当厩務員は出張馬房に連れて帰って鉄を打ち直させて欲しいと懇願しましたが、
そうなるとTV中継の枠内にも収まらなくなってしまいますので当然取り合って
もらえませんでした。
JRAには抗議の電話が殺到しましたが、結果が変わることはありません。
思わぬアクシデントにより一世一代のチャンスを逃したルーブルは
その生い立ちとあいまって

《靴を忘れたシンデレラ》と揶揄されました。

※第2部に続く

奇跡の名牝キンチェム物語part2   担【けん♂】

4歳になってもキンチェムの快進撃は続きます。
まずは、4月22日~5月30日までの1ヶ月強の間の驚くべき戦績から列挙します。

走日   レース名       距離   斤量  着順  着差

4月22日 エレフネンクスレネン 芝1,600m  65.5kg 1着  2馬身

4月25日 プラーター公園賞 芝2,000m 67kg 1着   3馬身

5月 4日 アーラム・ディーユ 芝2,400m 69kg 1着   5馬身

5月14日 アーラム・ディーユ 芝3,200m 67Kg 1着 5馬身

5月16日 キシュベル賞 芝2,000m 69.5Kg 1着 3馬身

5月19日 アーラム・ディーユ 芝2,400m 69.5Kg 1着   大差

5月26日 シュタット賞 芝2,800m 69.5Kg 1着   1馬身

5月28日 トライアルS 芝1,600m 65kg 1着   大差

5月30日 シュタット賞 芝1,600m 69.5kg 1着   5馬身

どうでしょう?何とこの短期間で9連勝しているのです!
しかも、目を疑うような過酷な斤量を克服しているではありませんか!
69.5Kgを背負って大差勝ちって一体・・・
キンチェムは体高こそあったものの華奢な体型でステイヤータイプ、
首をグッと下げた地を這うような走法だったといいますから決して
馬力型ではありません。
それだけにもうスバ抜けた能力と根性を持ち合わせていたとしか言いようがありませんね。

そしていよいよ、キンチェムは本場西ヨーロッパへと殴り込みをかけます。
まずは競馬発祥の地イギリスへ。
彼女の強さは英国にも知れ渡っており、『ハンガリーの奇跡』と呼ばれていました。

当初はダービー馬シルヴィオやオークス馬プラシダとのマッチレースの話も
持ち上がりましたが、キンチェムに敗れて本場のプライドが傷付くのを恐れてか、
実現はしませんでした。
結局向かったのは3大カップレースの一つグッドウッドカップ(芝4224m)。
ここでも前年にグッドウッドカップ、ドンカスターカップの
3大カップレースの2つを制していたハンプトンや、これまた3大カップレースの1つである
アスコットゴールドカップを勝ったヴェルヌイユら有力馬がキンチェムを恐れて
続々回避、とうとう僅か3頭立てのレースとなってしまいました。

それでも誇り高き英国人はキンチェムを3頭立て3番人気と低評価、本場イギリス
の馬がハンガリーの馬ごときに負けるのは許されないと言わんばかりです。
レースは後にドンカスターカップを勝つペーシェントが逃げる形となりましたが
キンチェムはこれをあっさり捉えて2馬身差の快勝、その力が本物である事を証明しました。

そして次に向かったのはもう一つの誇り高き国フランスで行われる
ドーヴィル大賞典(芝2400m)です。
英国に続いてハンガリーの馬に勝たせるわけにはいかないとキンチェムには
61㎏の斤量が課せられます。
1番人気もフランス2000ギニーの勝ち馬フォンテヌブローに譲りますが結果は
半馬身差でキンチェムの勝利、イギリス、フランスの大レースを見事連勝して見せたのです。

そんな無敵を誇ったキンチェムが生涯唯一と言っていい苦戦を強いられたのが
次走ドイツでのドーヴィル大賞典(芝3200m)でした。
昨年も制しているこのレース、連覇をかけての出走でしたが騎手の慢心から
何と泥酔状態で騎乗してしまったのです。
大きく離された後方の位置取りとなってしまったキンチェム、直線に向いても
もはや逆転は不可能と思われました。

《万事休す》 誰もがそう思ったその時、キンチェムが動き出します。
何とか掴まっているだけの騎手を背に信じられないような加速で前を急追、
先頭に並びかけたところがゴールでした。
判定は同着、規定によりこのレースは2頭のマッチレースによる決勝戦が
行われる事になりました。
ところがこの決勝戦でも思わぬアクシデントがキンチェムを襲います。
途中で野良犬がコースに飛び出し、キンチェムに絡んで来たのです。
この間に大きく引き離されてしまい、またまた大ピンチ。
しかしキンチェムはこの野良犬を蹴り飛ばすと猛追を開始、あれよあれよと
いう間に相手馬を捉えると逆に6馬身差をつけてゴールイン!
見事競争生活最大の苦境を乗り越えて無敗を守ったのです。
その後、本国に戻って3戦(もちろん3勝)したキンチェム、4歳時を
15戦15勝で終えました。


5歳になっても現役を続行したキンチェム。
初戦のアラームディーユ賞(芝2400M)では遂に斤量72kgと70kg台に突入!
それでもキンチェムは8馬身差で圧勝してしまいます。
その後、5月4日、5月6日、5月8日と5日間に3戦という過酷ローテに挑戦。
4日のカロイー伯爵S(芝3600M)こそ全馬回避の単走(61.5kg)だったものの、
6日のアラームディーユ賞(芝3600M)では72.5kgを背負い2馬身差で快勝、
8日のこれまたアラームディーユ賞(芝2400M)では遂に生涯最重量となる
驚愕の76.5Kgを課せられるもまたもや2馬身差で完勝。

この過酷ローテの中、これだけの酷量を背負い続けながら故障もせずに
勝ち続ける彼女の強靭さにはもはや言葉もありませんね。
キンチェムはこの後8戦を全て勝った後に同厩舎の馬との喧嘩で
怪我をしてしまいそのまま引退、5歳時も12戦12勝で通算54戦54勝という
金字塔を打ち立ててターフを去りました。

これほどの強さを見せつけたキンチェムですから何か〝鉄の女"的なイメージを
持ってしまいそうですが、実は彼女は非常に心優しきレディでもあったのです。

キンチェムの担当厩務員フランキーとの信頼関係は非常に深く、列車で移動の際も
必ずフランキーが側にいる事を確認しないと寝なかったといいます。
そして、ある寒い日にフランキーが何も掛けずに寝ていると、キンチェムは
自分の馬衣をくわえてフランキーにかけてあげました。
その日からたとえフランキーが毛布を掛けていてもずっと馬衣を掛け続けた
そうで、彼女のフランキーへの愛情の深さがうかがい知れますね。
そんなキンチェムの事が可愛くて仕方が無いフランキーは自らを
フランキー・キンチェムと名乗り一生を独身で通したそうです。
きっと彼にとってはキンチェムこそが唯一無二の伴侶だったのでしょう。
もちろん、彼の墓標には〝フランキー・キンチェム"の名が刻まれています。

フランキーの他にも彼女には普段からとても仲の良い親友のネコがいました。
イギリスでグッドウッドカップを勝った帰路、そのネコが船から列車に
乗り換える際、行方不明になってしまいました。
キンチェムはとても列車の旅が好きで普段は嬉々として乗り込むのですが、
この時は頑として乗車を拒否して2時間に渡り鳴き続けたといいます。
船の中で迷子になってしまっていたネコはキンチェムの鳴き声を頼りに無事戻り、
それを確認したキンチェムは安心して列車に乗り込んだそうです。

また、こんなエピソードもあります。
馬主のブラスコヴィッチはキンチェムがレースに勝つと決まって頭絡に花を
飾って祝福していたそうですが、ある日これが遅れた事がありました。
するとキンチェムはすっかりすねてしまい、なかなか鞍を外させようと
しなかったとか。
まるで人間の女の子のようで微笑ましいですね。


キンチェムは引退後、繁殖牝馬として5頭の産駒を送り出し、
どの産駒もクラシック勝ちや未出走でもその産駒がクラシックを勝つなど
優秀な成績を残しました。
とりわけ初年度産駒ブタジェンジェは牝馬ながら独ダービーを制し、その子孫
にはキンチェムから数えて13代目に英オークス馬ポリガミー、17代目に
2012年の英国2冠馬(2000ギニー、ダービー)キャメロットがいます。

因みに日本の毎日王冠に出走し、後の天皇賞(秋)馬バブルガムフェローを
負かして優勝したアヌスミラビリスもこのキンチェムの末裔だそうですね。
キンチェムが生まれたのが1874年、140年が経過した今でもその子孫が
世界各国で活躍しているとは嬉しい話ではありませんか。

キンチェムは13歳の誕生日に疝痛によりその偉大な生涯を閉じました。
この日ハンガリーの教会はキンチェムを讃え、追悼の鐘を鳴らし続けたといいます。
生誕100周年の1974年にはブダペスト競馬場が「キンチェム競馬場」と改名され、
ここにキンチェムの銅像も建てられました。


勝利距離は実に947m~4200mという幅広さ、過酷なローテーション
(しかも、列車、船でのタフな移動!)、最高76.5kgに及ぶ酷量、
それらをものともせず達成した54戦54勝という金字塔は今なお輝き続けています。
強く優しくチャーミングなキンチェムの物語、
時代を超えて語り継いでいって欲しいものですね。

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いかがでしたでしょうか。
日本では考えられないような過密日程での出走、(中1日って?!)
70kgを超える酷斤量とか・・・野良犬に絡まれるとか(爆)
ちょっと信じ難い環境の中、生涯を無敗で通したキンチェム。
(騎手の泥酔もありえませんね:笑)

こうした名馬の血を血統表の中から見つけるのも楽しいですね。
キンチェムに追いつけ、は無理にしても、日本の馬たちも
今後に素晴らしい血を残していけるよう、頑張っていって貰いたいものです。

奇跡の名牝キンチェム物語part1   担【けん♂】

秋華賞では今後の牝馬戦線を引っ張る馬の登場を期待したいものですが
世界にはもっととんでもない記録を残した牝馬がいます。
競馬の語り部、temporalisさんにハンガリーの奇跡、キンチェムの物語を
寄稿して頂いたのでご紹介いたします♪

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生涯無敗》・・・何という魅惑的な響きでしょう。
勝負事に携わる者ならば誰もが憧れる不可能に近い究極の到達点。
日本競馬界(中央、サラブレッド)では女傑クリフジが11戦11勝、
トキノミノルがダービーまで10戦10勝という記録がありますが、
クリフジは早期引退、トキノミノルはその後破傷風で急逝してしまいます。
無敗で3冠を制したシンボリルドルフやディープインパクトでさえ、
生涯無敗という偉業は達成できませんでした。
近年、豪州のブラックキャビアという牝馬が25戦全勝という
驚異的な戦績のまま引退し世界を驚かせましたね。
では生涯無敗の世界記録とはどれほどのものなのでしょう?
今回はその記録の主〝ハンガリーの奇跡"キンチェムの物語です。

まだ競馬初心者だった頃の私は、とある競馬誌で驚くべき記事を目にしました。
そこには競馬における歴代無敗最多勝記録が何と54戦54勝と書かれて
いるではありませんか!
しかもその馬は牝馬だといいます。
私は、にわかには信じられないような大きな衝撃を受けました。
後に詳しく彼女の戦績を知るにつれ、その畏怖の念は益々大きなものへと
膨らんでいったのです。

キンチェムの母ウォーターニンフはハンガリーの1000ギニーに優勝した名牝でしたが、
キンチェムの生産主ブラスコヴィッチは最初この馬を自分の乗馬用に購入したそうです。
しかし、周囲に説得され繁殖牝馬として使うこととなり、1年目から
ハンガリーオークス馬ハマトを輩出しました。
そして2年目に生まれたのがキンチェムなのですが、実は牧場のミスで
種牡馬を取り違えての誕生だそうで、運命とは不思議なものです。

しかも、キンチェムはひょろりとした暗い毛色の栗毛で見栄えが悪く、
7頭まとめて700ポンドの取引の中の1頭でしたが購入者にハネられてしまい、
引き取ってもらえませんでした。
そんなキンチェムでしたがその素質を見抜いた意外な人物が・・・
ある日牧場にロマと呼ばれる移動型民族が馬泥棒に入り、
盗んだ馬がキンチェムだったのです。
その後捕まった犯人が「どうして他にいい馬がたくさんいたのにあの馬を選んだんだ?」
との問いかけにこう答えたそうです。

「確かにあの馬は外見は他の馬に見劣りする。
 でもそれを補って余りある勇気を持っていたんだ」

こうして生産者ブラスコヴィッチの所有馬として走ることとなった
キンチェムはベルリン競馬場の芝1000m戦でデビューし、
4馬身差の圧勝でその競争生活をスタートさせました。
2歳時には947M~1600Mまでの短い距離を4カ国に跨る全て違う競馬場で
10戦10勝、特筆すべきは5戦目から見せ始めたその異常なる強さです。
5戦目の1000M戦では10馬身差、6戦目の同じく1000M戦では大差勝ち、
7戦目の1200M戦でも大差勝ちと、こんな短距離戦でこの着差、尋常ではありません。
続く8戦目の948M戦こそ1/2馬身差と一息ついた格好ですが、
9戦目の1600M戦ではまたもや10馬身差、10戦目の1400M戦も大差勝ちと
底知れぬ強さを見せ続けたのです。


それから5ヶ月間の休養を経て3歳戦がスタート。
初の1800M戦を勝利するとハンガリーの2000ギニーに相当する
ネムゼティ賞(芝1600M)に出走、ここでも大差勝ちの圧勝を飾ります。
次は母ウォーターニンフも制しているハンガリー1000ギニーに相当する
ハザフィ賞(芝1600M)に出走し、馬なりで1馬身1/2差をつけ見事
母子制覇を果しました。

・・・と軽い感じで書きましたが、このネムゼティ賞とハザフィ賞は
日本で言えば皐月賞と桜花賞、しかもこのレース間隔は中1日なのです!
つまり牡馬相手の皐月賞相当のレースを大差勝ちした2日後に
桜花賞相当レースをも勝ってしまう
という離れ業、唖然とする他ありません。

こうしてハンガリークラシック戦線では敵無しとなったキンチェム、
陣営は次走に中央ヨーロッパ最強クラスの3歳馬達が集結する
ジョッケクルブ賞(オーストリアダービー 芝2400M)を選びます。
これまでの相手とは違う真価を問われる一戦となりましたが、
キンチェムの輝きは増すばかりでした。
並み居る猛者たちを蹴散らし、この舞台においても大差の圧勝劇を
演じて見せたのです。

しかもその3日後に芝1600M戦を流して2馬身差の楽勝、更に3日後に
今度は初の芝3200Mという長距離戦に挑戦して10馬身差の勝利と、
もはや開いた口が塞がりません。

その後はドイツへ出向き初の古馬相手のハノーファー大賞(芝3000M)
を6馬身差で軽く勝つと1戦挟んでドイツ最高峰のバーデン大賞(芝2500M)
をも3馬身差で快勝してしまいます。

ここまで強いともう普通にレースをやってもキンチェムに敵う馬はいません。
彼女には徐々に重い斤量が課せられるようになっていきます。
ハンガリー凱旋帰国第一戦の芝2400M戦では59kgを背負いましたが
3馬身差で圧勝、ハンガリー四冠を果したカンツァディーユ(ハンガリー
オークス 芝2400M)では60.5kgを課せられるもこれまた3馬身差で快勝。
ハンデをものともしない彼女の強さに次走では回避馬が続出、
遂には単走でレースが行われるに至りました。
その後チェコに移動し、芝2400Mを今度は実に61kgを背負い1馬身差で勝利、
次の一戦はまたもや全馬尻尾を巻いて逃げ、2度目の単走となり3歳のシーズンを
17戦17勝で終えました。

続きます。

思い出の名馬(グラスワンダーpart3)  担【temporalis】

※第1章は→ココ
 第2章は→ココ

第3章『死闘の果て、そして・・・』

そして古馬となった翌年、再び脚光を浴びる事になったグラスワンダーでしたが、
またもやアクシデントに見舞われます。
春緒戦に予定していた日経大阪杯を目前に馬房で暴れ、
左眼瞼に裂傷を負ってしまったのです。
ようやく復活を果し、さあ今年は快進撃!という矢先だっただけに陣営は
『またか』と肩を落としました。

止む無く大阪杯は回避、京王杯スプリングC(東京芝1400m)での
仕切り直しとなりました。
順調さを欠いた上、前走有馬記念から一気の距離短縮ですから不安が無い筈もありません。
それでも蓋を開けてみれば中段追走から直線では一気の差し脚でエアジハード以下を完封、
『やはりグラスワンダーは強い』と世間に印象付けたのです。


ところが続く安田記念(GⅠ)でまたもや思わぬ敗戦を喫してしまいます。
仏GⅠを含むGⅠ勝ち2つのシーキングザパール、今年に入って
東京新聞杯→中山記念と重賞2連勝のキングヘイローと強豪の参戦もありましたが
グラスワンダーの単勝は1.3倍、その支持率は絶大なものでした。

しかし競馬に絶対はありません、直線早目に抜け出し勝利確定かと思われた
グラスワンダーに外からエアジハードが強襲、壮絶な叩き合いの末
ハナ差で敗れてしまったのです。

このレースの道中、グラスワンダーは外国馬ムータテールに接触されて
リズムを崩してしまい、直線で一度も手前を替えることができませんでした。
それでも3着シーキングザパールには2馬身半差をつけていますから
決してグラスワンダーは凡走したわけではありません。
それだからこそ一度は抜け出しながら最後の最後でエアジハードに
競り負けてしまった内容に私を含めグラスワンダーの圧勝を期待した者の胸には
何ともいえないモヤモヤが残ったのでした。

『グラスワンダーは本当に強いのか?』

その疑問の答えは次走宝塚記念で明確になります。


春のグランプリ宝塚記念、ここでグラスワンダーは同い年のダービー馬と
初めて対戦する事になりました。

その馬の名はスペシャルウィーク
類稀なるグッドルッキングホースの上、鞍上は天才武豊と
世間の人気を集める要素満載のまさにスーパースターです。
しかもこの年に入ってAJCC→阪神大賞典→天皇賞春と怒涛の3連勝、
この宝塚記念は凱旋門賞挑戦への壮行レースと位置付けられていました。
当然のように1番人気はスペシャルウィーク(1.5倍)、前走の敗戦で
評価を落としたグラスワンダーは2.8倍の2番人気とやや水をあけられた形です。
この年のメンバーは他に強力な馬が見当たらず一騎打ちの様相、お互いに負けられません。

レースはニシノダイオー逃げで始まりました。
スペシャルウィーク、グラスワンダーともゆっくりゲートを出て中段につけます。
武豊スペシャルウィークがやや前、的場グラスワンダーがこれをピッタリマーク。
ニシノダイオーのペースは1000m通過が61秒ジャストと遅め、
その後もペースが上がらないのを見て取った武豊スペシャルウィークは
馬なりでスーッと先頭へ。
的場グラスワンダーも離されてはなるかと手綱を押して進出を開始、
この時点での手応えはスペシャルウィークの方がウンとよく見えました。

先頭で4コーナーを回るスペシャルウィーク、続いてグラスワンダー、
さあ、直線での一騎打ちです!

しかし、勝負はあっさりと決しました。

4コーナーを回ってからのグラスワンダーの加速力の何たる事か、
瞬く間にスペシャルウィークを捉えると並ぶ間もなく抜き去ったのです。

ゴールでは内回りの短い直線であのスペシャルウィークに3馬身差をつける圧勝劇、
そのスペシャルウィークから3着ステイゴールドまでは実に7馬身の差がついていました。
そこにいたのは3歳時《怪物》と言われたグラスワンダー、
我々グラス党は溜飲を下ろしたのでした。

実はグラスワンダーはこの中間は夏負けがあったそうですが
レース前日あたりから気候が一変、涼しくなって体調が上向きました。
前年の有馬記念の時と言い、何か大一番直前で運のある馬ですね。
このレースの結果を受けスペシャルウィーク陣営は凱旋門賞挑戦を断念、
両雄は秋の対戦へ向け休養に入りました。



グラスワンダーの秋緒戦は昨年と同じく毎日王冠
今年のメンバーは明らかに楽でグラスの単勝は1.2倍と圧倒的な1番人気に推されました。
陣営も《直線は余裕を持って引き付けてから最後に突き放す》という青写真を
描いていましたが、いざ蓋を開けてみるとこれが大苦戦。
ゴール手前100mほどで何とか先頭に立つも全く余裕は無く、
外から猛追して来たメイショウオウドウに一完歩毎に詰め寄られます。
ハナ面が並んだところがゴールでしたが何とか凌いでハナ差の辛勝、肝を冷やしました。

的場騎手によると春の安田記念での接触事故の影響で左回りを苦手にするようになった
という事ですが、圧倒的な強さを見せたかと思えば《並みの重賞馬》に豹変してしまう
グラスワンダーに一喜一憂の日々は続くのでした。

更に悪いニュースが飛び込んで来ました。
またもや脚部不安が生じ、跛行により次走に予定していたジャパンカップを
回避する事になったのです。
この年〝因縁"のエルコンドルパサーはフランス凱旋門賞に挑戦
モンジューとのデッドヒートに僅かに敗れたものの世界の頂点のレースで
半馬身差の2着と世間の話題をさらっていました。
そのモンジューも参加するジャパンカップを勝って力を示したかっただけに
陣営並びに我々グラス党の落胆は容易に想像できるでしょう。
しかもそのジャパンカップを勝ったのはスペシャルウィーク!

秋緒戦の京都大賞典こそ体調が芳しくなく7着に敗れたものの、続く天皇賞秋を
後方からの一気の差し脚で快勝、返す刀で世界の強豪をも完封して見せたのです。
そしてスペシャルウィークは次走有馬記念を最後に引退と発表、
もちろんグラスワンダーへの〝借り"を返して花道を飾る思惑です。


GⅠレースを2連勝で意気揚がるスペシャルウィーク陣営に対して
グラスワンダー陣営のトーンは一向に上がりません。
ジャパンカップ回避後も脚元の具合は思わしくなく、レース前になっても
コズミが抜けないのです。

そんな状態で迎えた有馬記念当日、発表されたグラスワンダーの馬体重は
プラス12キロの512キロ。
快勝した宝塚記念の時が504キロでしたから、そこからはプラス8キロですが
やはり太め感は否めません。
しかし、一方のスペシャルウィークの馬体重は逆に464キロとデビュー戦と並ぶ最低体重、
究極に仕上た結果との見方もありますが、やはり激戦での〝消耗"を感じさせるものでした。
単勝人気はグラスワンダーが2.8倍、スペシャルウィークが3.0倍と拮抗しました。
状態ではスペシャルの方にやや分がありそうでも宝塚記念での強烈な印象が
グラスワンダーを1番人気に押し上げたのでしょう。

そしてゲートは開きました。
これといった逃げ馬がいない中、押し出されるように先頭に立ったのはゴーイングスズカ、
菊花賞馬ナリタトップロード、ダイワオーシュウがこれに続きます。
グラスワンダーは後方11番手あたり、並んで昨年の2着馬メジロブライト、
スペシャルウィークは最後方を進みます。
ゆったりしたゴーイングスズカのペースに殆ど隊列は変らないまま淡々と流れました。
1000m通過は1分05秒2、遅い!

このペースを見越してまず動いたのは的場均&グラスワンダー、
大外に持ち出すと進出を開始、グッと前との差を詰めます。
すかさず武豊&スペシャルウィークもこれに続き、ピッタリとグラスの直後につけ
宝塚記念の時とは全く逆の位置関係です。

隊列が詰まっていた為、4角ではかなり外を回るグラスワンダーとスペシャルウィーク。
グラスワンダーより2頭分くらい内を回った伏兵ツルマルツヨシが一気に先頭に立ち
なかなかの脚色です。
グラスワンダーもさすがのコーナリングでこれを追い、スペシャルウィークは
やや離されたもののすぐに追い上げ体勢に。
しかし、前で踏ん張るツルマルツヨシになかなか追いつけないグラスワンダー、
やはり本調子ではないのか?
後方内からは皐月賞馬テイエムオペラオーが、そして外からはスペシャルウィークが
グイグイ迫って来ます!

最後の急坂にかかってようやくツルマルツヨシを捉えるグラスワンダー、
追い込むテイエムオペラオー、スペシャルウィークもほぼ横一線まで迫り
息を呑む叩き合いです。
ゴール直前でテイエムオペラオーが力尽きて僅かに遅れ、
最後の最後は古馬2頭の意地と意地のぶつかり合いに。
勢いではスペシャルウィーク、しかし、しかし、最後の力を振り絞って
踏ん張るグラスワンダー!

そして、ほぼ両馬並んでゴール板を通過!


《 勝ったのはどっちだ? 》


正直、テレビ画面の角度ではややスペシャルウィーク優勢のように見えました。
武豊騎手も勝利を確信してウイニングランヘ向かいます。
尾形調教師も負けたと思い白井調教師に祝福の言葉をかけ、
的場騎手もグラスワンダーを2着馬の位置に収めました。

私も負けを覚悟し、
〈最後にグラスを負かして引退か。カッコ良すぎるなスペシャルウィーク、ちくしょうめ。〉
とライバルに心の中で悔しさ交じりのエールを送りました。

ところが、武豊&スペシャルウィークがウイニングランを終えて引き揚げたその直後、
場内が騒然としました。

電光掲示板の1着に掲示されたのは何と7番グラスワンダー

誰もが『えっ!』と目を疑いました。
しかし、判定写真にははっきりとグラスワンダーの勝ちが映し出されていたのです。

その差は僅かに4センチ、スペシャルウィーク陣営の執念をグラス陣営の意地が
僅かに、僅かに抑えたのでした。
恐らくは状態は万全ではなかったであろう両馬、それでも持てる力を振り絞って
最後の最後まで死闘を繰り広げた姿には胸を打たれましたね。
しかも3着に負かしたのが後の〝7冠馬"テイエムオペラオーですから、
この世代の強さを示した一戦でもありました。

こうして前年の有馬記念からグランプリ3連覇という空前絶後の偉業を達成した
グラスワンダーでしたが、実質このレースを最後に〝強いグラスワンダー"は
ターフから姿を消しました。

年が明けてから凱旋門賞を目標にスタートしたものの、緒戦の日経賞では
太めだった有馬記念よりも更に18キロ増えて6着惨敗、続く京王杯SCでは
逆に一気に20キロ絞って出走したものの、これまた9着に敗れてしまいます。

凱旋門賞挑戦に最後の望みを賭けて出走した宝塚記念ではレース中に骨折を発症し、
遂に引退となってしまったのです。
前年の有馬記念を最後に担当厩務員が引退、若手の厩務員に引き継がれ
調整が上手くいかなかったというのもありますが、実際にはあの有馬記念の死闘で
グラスワンダーは燃え尽きてしまったのではないでしょうか。
あのスペシャルウィーク渾身の追い込みを封じた執念の踏ん張りは
彼の競争生命と引き換えの究極の底力だった、そう思えるのです。


「この馬の本当の強さを皆さんにお見せする事が出来なかったのが残念でなりません。」


的場騎手はグラスワンダーの引退に寄せてこう語りました。
確かにグラスワンダーは万全の状態で出走した事が一度もなかったのかも知れません。
それでも彼は史上最強世代と言われるライバル達の中で素晴らしいレースを見せてくれました。
日本馬として世界の頂点まであと少しまで迫ったエルコンドルパサー
ダービー、天皇賞春、天皇賞秋、ジャパンカップの4冠を制したスペシャルウィーク
そのスペシャルウィークを皐月賞、菊花賞で負かし2冠馬に輝いたセイウンスカイ・・・
勝負は時の運、どの馬が一番強かったなんて分かる筈もありませんが、
これだけの強い馬達が揃った世代の戦いを見る事が出来た私達は本当に幸せだったと思います。


最強世代の一角で燦然と輝きを放ったグラスワンダー
私は確信しています、的場騎手の《選択》に悔いは無かった、と。



そして種牡馬となったグラスワンダーは毎年魅力的な産駒達を送り出してくれています。
アーネストリー(宝塚記念)、スクリーンヒーロー(JC)、セイウンワンダー
(朝日杯FS)といった芝平地GⅠ馬の他、障害では中山GJ、中山大障害の
2大競争を制したマルカラスカルを輩出。
ダートでもビッグロマンスが全日本2歳優駿を制してオールラウンドぶりを発揮していますね。

母の父としても今年メイショウマンボがオークスを勝ち、牝馬が活躍できないのが悩みの
グラスワンダーにとっては別の形で光が見えました。
個人的にはブログ開設時代にフォーティファイド(アイネスフウジンの孫)、
メイショウバトラーと共に〝応援馬3本柱"を形成したマイネルレーニアが大好きでした。
マイネルレーニアは残念ながら種牡馬にはなれませんでしたが、
最近では馬術大会で大活躍しているとか。
障害に転向していたらもしかしたらマルカラスカルばりの飛越を
見せてくれていたかも知れませんね。
すでに後継種牡馬としてスクリーンヒーローの仔がデビュー、これにアーネストリー、
サクラメガワンダーも続きますので楽しみは尽きません。


偉大なるグラスワンダーよ、お前の血が繋がる限り応援し続けるからね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いかがでしたでしょうか。

奇しくも明日、エルコンドルパサーが惜しくも敗れた凱旋門賞に
オルフェーヴルが2度目の挑戦をします。

グラスワンダー、スペシャルウィークといった凱旋門賞の舞台に
立てなかった名馬たちの想いも乗せて、是非ロンシャンの長い直線を
先頭で駆け抜けて貰いたいですね(^^)g

思い出の名馬(グラスワンダーpart2)  担【temporalis】

※第1章は→ココ

第2章『奇跡の大逆襲』

これにより『グラスワンダーが復帰するまで』の条件付で的場騎手は
エルコンドルパサーの騎乗を続行する事になりました。
ニュージーランドTでは初の芝も何のその、1番人気に応えて快勝、
奇しくもこのレースで3着に負かしたマイネルラブとの着差は
グラスワンダーが朝日杯でつけたものと同じ2馬身半でした。
続く本番NHKマイルカップでも当然のように1番人気で楽勝、
5連勝でGⅠ戴冠となり快進撃は止まりません。

さすがにここまで来ると的場にも《迷い》が生まれました。

「体が二つあったらどちらにも乗りたい」

それが本音でしょう。
しかし、グラスワンダー陣営、エルコンドルパサー陣営が
共に秋の初戦に選んだのは毎日王冠、どちらかを選ばなければなりません。
そして遂に的場騎手苦渋の決断は下されました。


グラスワンダーでいきます。



そしてグラスワンダー復帰の時はやって来ました。
レースはGⅡ中のGⅡと呼ばれる毎日王冠(芝1800m)、胸は高鳴りました。
グラスは骨折による長期休養明け、しかも夏負けがあったといいますから
普通なら期待の持てる状況ではありません。

しかも、立ち塞がるのはまさにこの時期旬を迎えていた超快速馬サイレンススズカ
1800m~2000mではちょっとこの馬に勝つのは不可能のように思えました。
そしてもう1頭、因縁のエルコンドルパサー
グラスワンダーと違って順調に夏を越して来ただけに、これも簡単に負かせる
相手ではないでしょう。

それでも『グラスワンダーならやってくれる』の想いは強く、
実際グラスの単勝はサイレンススズカに次ぐ2番人気で
エルコンドルパサーのそれを上回っていました。
私は祈るような気持ちでレースを見守りました。

スタートでややグラスワンダーは出遅れました。
しかし、相手は最初から最後までスピードが落ちないサイレンススズカ、
のんびり後方で構えているわけにはいきません。
的場騎手はグラスワンダーに気合いを入れてすぐに中段まで追い上げ、
追撃態勢に入ります。
先頭は快調に飛ばすサイレンススズカ、
800mを46.0、1000mを57.7で通過、

《このままでは完全に逃げ切られてしまう》

そう思った時、大外を果敢に捲くって出た馬が。

グラスワンダーです!

グングンとサイレンススズカとの差を詰め、
2番手で最終コーナーを回ったグラスワンダー、

「さあ行け!」

多くのグラスワンダーファンがそう叫んだでしょう。
しかし、無情にもサイレンススズカとの差は詰まるどころかジワジワと開き出します。
坂上では満を持して追い出した宿敵エルコンドルパサーにも交わされ
力尽きたグラスワンダーはゴールでは5着まで後退、奇跡は起こりませんでした。

59キロを背負ったサイレンススズカは1分44秒9の好時計で楽勝、
2着には自分のレースに徹したエルコンドルパサー(57キロ)が2馬身半差で入線、
グラスワンダーは55キロと恵まれていただけに完敗です。
しかし、私の胸には熱いものがこみ上げました。
確かにグラスワンダーは負けましたが、玉砕覚悟で果敢にサイレンススズカの首に
鈴を付けに行った的場騎手の騎乗に胸を打たれたのです。

《あそこで動かなければ勝ちはない》

着拾いなど眼中にない最強馬の意地と誇りをかけた魂の騎乗だったと思います。



こうして初の敗北を味わったグラスワンダーでしたが、陣営は次走には
相手の相当軽くなるアルゼンチン共和国杯を選び必勝を期しました。
ところが何という事か、直線早目に先頭に立ったグラスワンダーは
次々と後続に交わされ6着に沈んでしまうのです。

さすがに、この相手ならと思われていた一戦だっただけにショックは大きく、
かつての『史上最強の3歳馬』の称号は、ありがちな『早熟の尻すぼみ』へと
変りつつありました。

実はグラスワンダーは慢性的になってしまった骨膜炎にも悩まされており、
この先の戦いに光は見えて来ませんでした。

そんな中でしたが陣営がこの年最後のレースに選んだのはグランプリ有馬記念
朝日杯で圧倒的な強さを見せた中山で果たしてグラスワンダーは変れるのでしょうか。
しかし、中間のグラスの状態は全く上向く気配がなく、ファン投票も
14位とすっかりファンからの信用も無くしてしまっていました。
3歳時のグラスワンダーが放ったとてつもない可能性に胸ときめかせた私は
この状況がもどかしくてなりません。
そんな中、レース前日になって遂に一筋の光が射したのです。

重苦しかった動きが一変、闘争心が戻ったとの知らせに『もしや』の期待が高まりました。
しかし、流石にグランプリは相手が強力です。
グラスワンダーが不振に喘いでいる間にジャパンカップを制した宿敵エルコンドルパサーや
同期のダービー馬スペシャルウイークこそ回避したものの、2冠馬セイウンスカイ
JC2着の女傑エアグルーヴ、春の天皇賞馬メジロブライトらが大きく立ちはだかり、
そう簡単には勝たせてもらえそうにもありません。

実を言うと私はセイウンスカイも大好きな馬でクラシックではずっと応援していました。
スダホーク、ウィナーズサークルと同じ芦毛、そしてアイネスフウジンと同じ逃げ馬
シーホーク産駒好きの私が愛した馬達と重なり、心を大いにくすぐっていたのです。
前走菊花賞では長丁場3000mを絶妙なインターバル走法で
圧巻の世界レコードを叩き出し戴冠、勝算はこの馬の方が遥かに高いように思えました。

そして戦いの火蓋は切って落とされました。
スッと先頭に立つセイウンスカイ、グラスワンダーも内からいいスタートを切って
中段の位置につけます。
セイウンスカイの横山騎手は馬場の良い所を選んで外を回っての逃げ、
まるでアイネスフウジンの弥生賞ようではありませんか。

最初のコーナーで内を通った馬達に一旦差を詰められますが直線に入ると
グングン差を広げ、7~8馬身のリードを奪います。
そのまま隊列は殆ど動かず3コーナーへ。

ここでレースは動き始めます。

オフサイドトラップ、メジロドーベルがペースを上げ、
微妙にペースを落としていたセイウンスカイに肉薄、
しかしセイウンスカイ横山騎手に焦りは無く、またもやインターバル走法の罠にかけたのか?
しかしその時、大外を馬なりのままものすごい手応えで上がってきた馬が。

それは紛れもなくグラスワンダーでした。

『うわっ!来た~!』

鳥肌が立ちました

それはまさにあの朝日杯で見た最強馬グラスワンダーの捲くりでした。
直線で後続を突き放そうとするセイウンスカイを鮮やかな高速コーナリングからの
一気の加速で瞬く間に抜き去るとゴール目がけて一直線。
しかし、ワンテンポ遅れて大外から一気に追い込んで来た馬が視界に入りました。
セイウンスカイマークの有力馬が早目に動いてもがく中、後方で満を持していた
メジロブライトです。

「頑張れ、頑張れグラス!」

私は一瞬焦りましたが、心配は要りませんでした。
グラスワンダーの脚色は最後まで鈍らず、メジロブライトの追撃も1/2馬身差まで。
あの朝日杯から一年余り、同じ中山の舞台で遂にグラスワンダーが先頭で
ゴール板を駆け抜けたのです!

前走後、誰がこのグランプリでの大逆襲を予想できたでしょう?

何とか輝きを取り戻して欲しい

そんな儚い願いに見事グラスワンダーは応えて見せたのです。
強いグラスワンダーの復活に私は感無量、その日はビデオテープを
何度も何度も巻き戻しては観、勝利の余韻に浸ったのでした。

※第3章は土曜の晩にアップ予定