けいけん豊富な毎日

思い出の名馬(グラスワンダーpart1)  担【temporalis】

週末の毎日王冠が迫ってきていますが、過去、最も印象に残っている
毎日王冠と言えば・・・やはり98年。

サイレンススズカ、エルコンドルパサー、グラスワンダー
歴史に、そして記憶に残る名馬たちが揃った素晴らしいレースでした。
(結末も衝撃的でした^^;)
今年の毎日王冠を前に、temporalisさんが「思い出の名馬たち」として
グラスワンダーについて語ってくれました。
熱烈なグラスファンであるtemporalisさんの名調子とともに
名馬の時代を振り返ってみたいと思います。

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第1章『栗毛の怪物』

その日、私には大変楽しみにしていたレースがありました。
アイネスフウジン初年度産駒のエレガントモア号が出走するアイビーS
(OP 芝1400m)です。
新馬からの2戦こそ2、3着に敗れましたが、続く3戦目の未勝利戦(芝1600m)で
2着に3馬身差の快勝、勢いに乗ってここも突破!と意気込んでいたというわけです。
しかし、競馬専門誌をチェックすると1頭の馬にグリグリの◎がズラリと並んでいます。

『グラスワンダー?何だ外車か。高々新馬一つ勝っただけで持ち上げ過ぎじゃわい。
 どうせ、早熟の尻すぼみに決まっとる。恐れるに足りんわい。』

私は自分に言い聞かせると、9頭中6番人気にもかかわらずエレガントモアの
勝利を信じてテレビの前に座りました。
エレガントモアのスタートはもう一つ、中団よりやや後ろ目のポジションで
レースを進めます。
一つ目のコーナーを6番手、最終コーナーを5番手で回りいざ直線へ。
前を行く馬で強そうなのは札幌3歳S4着のマチカネサンシロー、
新馬で対戦し、悔しくもクビだけ負けた牝馬ダンツナイキあたりか。
必死で追いかけるエレガントモアですがジリ脚でなかなか前との差が詰まりません。

「くそおお、勝てんかあ。」と力む私。

その時です、内で死闘を繰り広げる馬群の外を何かがスーッと通り過ぎました。

『!!!・・・ 何じゃ今のは?

それは何と表現したらいいのでしょう、まるで現代のCGでも使ったような
異次元の走りでした。
着差は5馬身でしたが、それだけではとても言い表せない何か。
鼻唄でも歌いながら通過していったようなその姿には、同じサラブレッドとは思えない
圧倒的な力の差を感じずにはおれませんでした。
エレガントモアは結局4着に敗れましたが、その悔しさをもどこかにやってしまうような
恐るべきパフォーマンスを演じて見せた馬こそグラスワンダー。
私は一瞬にして心を奪われてしまったのです。


あまりの強さに次走京王杯3歳S(GⅡ 芝1400m)では単勝1.1倍の
圧倒的な1番人気に推されたグラスワンダーでしたが、
ここでも期待に違わぬ強さを見せます。

デビュー2戦は遅れ気味だったスタートも決まり早々と2番手を追走、
そのまま最終コーナーを回って直線へ。
早くも辺りを見回す余裕の的場騎手、内に切れ込みながら楽々と先頭に立つと
持ったままで離す一方。
ゴールではアイビーSと同じ2着馬マチカネサンシローに今度は6馬身差をつけていました。



そして迎えた伝説の朝日杯3歳S。
ここには新馬→函館3歳Sを圧勝のアグネスワールド、新馬を8馬身差楽勝の後、
京都3歳Sも快勝したフィガロと強敵も揃いましたが、グラスワンダーの単勝は1.3倍
勝つのはこの馬しか考えられないといったムードです。
6枠11番とやや外目からスタートしたグラスワンダー、まずまずのスタートで
中団の外7番手辺りにつけます。

先頭を引っ張るマウントアラタはかなりのハイペース、
1000mのラップが12.0-11.0-11.3-11.1-11.7 で57.1ですから
追いかけるには相当厳しいタイトな流れ。
しかし、そんな流れもグラスワンダー&的場騎手は全く意に介しません。
3角過ぎから仕掛けるとグングンと前との差を詰めて行き、
4角では大外を豪快に捲くります。
驚くべきはそのコーナリング、普通あれだけ外を捲くれば膨らんで
追い込み体勢に入るのが遅れるものですが、芸術的な脚の運びでスピードを落とさず、
一気に前を射程圏内へ。


「さあ、どこまで千切るんだ、グラスワンダー!」


実況の三宅アナウンサーが期待感を煽ります。

ところが、2番手からインの経済コースを通って一足先に抜け出した
マイネルラブの脚色が素晴らしいではありませんか。
それを見た的場騎手は初めてグラスワンダーに右ムチを入れます。
2発ほどもらったでしょうか、それに応えて更に加速するグラスワンダー、
瞬く間にマイネルラブを捉えると一気に抜き去ります。
決してしなやかとは言えませんが、前脚を高く上げ地面をガッシリと捉えて進む
前輪駆動の走法は豪快そのもの、全く他馬を寄せ付けません。
そして抜け出してからは的場騎手も手綱を緩めて余裕のゴールイン!


やっぱり強いグラスワンダー、これが新しい栗毛の怪物です! 

そしてタイムは何と、

いっぷん ・ さんじゅう ・ さんびょう ・ ろぉくう~~~!!!

マルゼンスキーの再来です!



3歳馬史上初の1分33秒台突入に三宅アナの興奮も最高潮、
ここに史上最強の3歳馬(現2歳馬)は誕生したのです。
とにかくこの時点でのグラスワンダーの強さは桁違い、外枠不利と言われる
中山のマイル戦で堂々大外を回っての圧勝劇、しかもこれでソエを痛がっていた
言いますから驚く他ありません。

こうして当然のように最優秀3歳牡馬に輝いたグラスワンダーですが、
実は主戦の的場騎手にはもう1頭 ゛怪物" との呼び声高いお手馬がありました。
その馬とはご存知、エルコンドルパサーです。

エルコンドルパサーは新馬(D1600m)、500万下(D1800m)を
それぞれ7馬身、9馬身差で圧勝、年が明けて芝を試そうと共同通信杯へ駒を進めますが
生憎の降雪のためダート変更となってしまいます。
それでも2馬身差で楽勝して3戦全勝、この頃から的場騎手の《選択》に
注目が集まり始めました。
グラスワンダー、エルコンドルパサーとも外国産馬であり当時はクラシックへの
出走権はありません。当然両馬とも春の最大目標はNHKマイルカップという事になり、
前哨戦のニュージーランドトロフィー4歳S(芝1400m)での対戦は避けられないのです。


ところがニュージーランドT4歳Sを目前にした3月、
グラスワンダーを悲劇が襲いました。右第3中足骨の骨折が判明したのです。

これでグラスワンダーは競走馬として大切な4歳春~夏にかけての時期を
治療に当てる事になってしまい、順風満帆だった競争生活はこれを境に
大きく方向を変えて行くのでした。

※第2章は金曜晩にアップの予定です。

海外の名馬(シアトルスルーpart3)  担【temporalis】

最終章【そして伝説へ・・・

明けて4歳馬となったシアトルスルーですが大病の後という事で一度5月の
一般競争(D1400M)を8馬身1/4差で楽勝した後、もう一度3ヵ月休養をとり
8月の一般競争(D1400M)に出走、ここも6馬身差で軽く勝ちますが続く
パターソンハンデキャップ(G2、D1800M)ではクビ差の2着に敗れてしまいます。
〈やはりまだ本調子ではないのか?〉そんな不安説の流れる中、
次走マルボロカップ(G1、D1800M)で世紀の対決を迎える事になります。

そこで対戦したのは一歳年下の三冠馬アファームド、史上初の三冠馬対決
アメリカ中が沸き返りました。
1番人気はアファームド、地味なシアトルスルーに対して雄大な馬格を誇る
怪物アリダーとの死闘の末三冠を達成したこの華奢な栗毛馬は人々の心を
掴んでいたのです。
生涯初めての2番人気に甘んじたシアトルスルーでしたが先輩三冠馬として
負けるわけにはいきません。
スタート後勢い良く先頭に立つシアトルスルー、離れた2番手を
アファームドが追走します。
400M通過が約24秒、800M通過が約47秒、1200M通過が1分10秒1、
淡々とレースは進み最終コーナーへ。
ここでアファームドがインに入れてシアトルスルーとの差を詰め
2馬身差くらいになったでしょうか、いよいよ直線に入りここからが
三冠馬同士の意地のぶつかり合いです。

逃げるシアトルスルー、追うアファームド。
しかし、その差は詰まりません。
1600M通過は1分33秒3、逆にジワジワ差を広げるシアトルスルーに
アファームドは追いつけそうもありません。
そして貫禄のゴールイン!先輩三冠馬は後輩三冠馬を3馬身後方に置き去りにして
1分45秒4のタイムで駆け抜けたのでした。

続くウッドワードS(G1、D2000M)では欧州から移籍して来た芝G1を5勝している
強豪エクセラーを迎え撃ちました。
このレースも前走マルボロカップの再現のようなレース展開でエクセラーを
4馬身差に退けて王者の威厳を示しています。
こうして完全復活を果たしたシアトルスルーは当時のアメリカ最高峰のG1である
ジョッキーゴールドカップS(D2400M)へと駒を進めました。

ここでまたもやシアトルスルーはアファームドと対戦する事になります。
アファームド陣営も二度続けて負ける訳にはいかないとペースメーカーとして
ライフズホープという馬を送り込みました。
要するにこの馬とシアトルスルーを競い合わせて潰してしまおうという作戦です。
この日シアトルスルーはスタート直前にゲートを開けて飛び出してしまうアクシデント
不穏な空気が流れます。
仕切り直していざスタート、しかし今度はアファームドにアクシデントが起こります、
鞍がずれてしまったのです。
このアクシデントによりアファームドが暴走、ラビットとして用意した
ライフズホープを差し置いて自分がシアトルスルーに競りかけていってしまったのです。
慌てて手綱を押して追いかけるライフズホープですがシアトルスルーと
アファームドが速過ぎてアップアップ、早々にお役御免となりました。
とにかく2頭のペースは猛烈でした、800m通過が45秒2、1200m通過が1分9秒4・・・
とてもダート2400M戦のものとは思えません。

この日はあちこちに水溜りが出来るほどの最悪の馬場コンディション、
日本のダートは砂で雨で脚抜きが良くなりますがアメリカのダートは土、
ぬかるみを走っているようなものですからその消耗度は想像を絶しますね。
そんな中、スピード能力では一枚上のシアトルスルーが徐々に引き離して行きます。
意地で差を詰め返そうとするアファームドですが、もう逆転する力が残っていないのは
明らか、シアトルスルーが振り切ったと思われたその時でした。

遥か後方から一気にワープしてきたかのような馬が一頭、突如として画面に現れました。
エクセラーです!
最終コーナー手前で内からシアトルスルーに並びかけたエクセラー、
両馬ビッシリ馬体を合わせたまま直線へ。
火の出るようなたたき合いが続きますが流石に前半あれだけ無謀なペースで飛ばした
シアトルスルーに分が悪く、遂にエクセラーが1馬身ほど前に出ます。
《 勝負あった 》誰もがそう思ったその時、信じられない光景が。
何という事かシアトルスルーがゴール前また差し返して来たではありませんか!

Seattle Slew、coming back again!

実況が叫びます。

1馬身差が3/4馬身、1/2馬身、クビ、頭、そしてハナ・・・
そこがゴールでした。
エクセラーは三冠馬2頭をまとめて負かす大金星、しかしこのレースはシアトルスルー
恐ろしいまでの勝負根性を発揮した魂のレースとして語り継がれる事にもなったのです。
このレースこそシアトルスルーのベストレースと賞賛する人は多いですね。
その後スタイヴェサントH(G3、D1800M)を勝ったのを最後にシアトルスルーは引退します。

生涯成績17戦14勝、2着2回、4着1回、内G1 9勝

輝かしい実績を引き下げ種牡馬入りしたシアトルスルーはここでも素晴らしい
成績を残します。
初年度からスルーオゴールドを出しいきなり北米リーディングサイアーに輝くと、
スウェイル、カポウティ、エーピーインディ、等々名馬を次々と世に送り出して
ボールドルーラー系の救世主となりました。
日本でもダンツシアトル、タイキブリザードのG1馬2頭を輩出、宝塚記念での
ワンツーフィニッシュの記憶が蘇ります。
彼の息子達もエーピーインディを筆頭に後継種牡馬として相当な成績を残しており、
今後もシアトルスルー系は広がっていきそうですね。


魂の競走馬シアトルスルー、その血よ永遠に。 by temporalis


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【ジョッキーゴールドC】


映像を観ただけでもわかる異常なハイペースの叩き合い!
これは凄いですね・・・。
ダイワスカーレットとウオッカの壮絶な叩き合いとなった
あの天皇賞秋を思い出してしまいました(^^)g

日本では母系に入ってスピードを強化している印象のシアトルスルーですが
是非、父系としても日本の血統界で活躍していって貰いたいものです。

海外の名馬(シアトルスルーpart2)  担【temporalis】

第2章【無敗の三冠馬の誕生!

こうしてエクリプス賞最優秀2歳馬に選出されたシアトルスルー
約5ヶ月の休養を経て翌年3月に3歳初戦を迎えました。
ダート1400Mの一般戦でしたが当然のように持ったままの楽勝で時計は
1分20秒6のレコード、3歳の春先ですから現代の日本の芝であっても
相当な時計ですよね、これ。
続いてフラミンゴS、ウッドメモリアルSの二つのG1競争(共にD1800M)を
「本当にこれGⅠ?」
というくらいの力の違いを見せつけて連勝、遂に三冠緒戦ケンタッキーダービー
(D2000M)へと駒を進めます。

ケンタッキーダービー当日、単勝1.5倍と圧倒的な支持を集めたシアトルスルー
でしたが、スタートで思わぬアクシデントが起こります。
ゲートに頭をぶつけて出遅れてしまったのです。
流石に一線級の出揃う三冠レースでは出遅れは致命傷と言えるでしょう、
しかしこの馬はモノが違いました。
慌てる事無く加速を開始すると次々と前の馬を抜き去り、1コーナーではもう
先頭を行くフォーザモーメントに並びかけていました。
一気に交わして先頭に立つか?と思われましたがそこは三冠レース、
序盤無理した分、クリュゲ騎手は向正面で一息入れ二番手を追走します。
そして最終コーナー辺りでフォーザモーメントを交わすと先頭で直線へ。
さすがにクリュゲ騎手も大舞台で力が入ったのか、いつもより激しく
シアトルスルーを追います。

しかし、スタートの不利が響いたか、これまでのような楽勝とはいきません。
3番手から追いすがるランダスティーランに直線で差を詰められるシアトルスルー。
それでも彼の底力は流石、最後まで踏ん張り切ってゴールではランダスティーランを
1馬身3/4差抑え一冠目を手中に収めました。(勝ち時計2分2秒2)
まあ、決して〈危ない〉という程ではありませんでしたが、これまでの
圧倒的な内容からすれば出遅れもありやや苦戦したという印象のレースですね。
そして二週間後、二冠目プリークネスS(D1900M)へと舞台は移ります。
このレースはシアトルスルーにとって更にしんどいレースとなりました。
というのも、ここに出走してきた先行馬のコーモラントという馬が滅法スピードがあり、
同型のシアトルスルーが譲らずかなりのハイペースになってしまったのです。
400M通過が22秒3、800M通過が45秒3、1200M通過は1分9秒4
ダート1900M戦でこのペースはさすがにきついでしょう。

それでもコーモラントをついに振り切ったシアトルスルーは先頭で直線に向くと
底力を見せます。
満を持して追い込んで来たアイアンコンスティテューションも1馬身3/4差まで
迫るのが精一杯、ゴール前では脚色が同じになり1分54秒4のタイムで
シアトルスルーが二冠目を制しました

そしていよいよ三冠最終関門ベルモントS(D2400M)を迎えたシアトルスルー。
とにかく長いアメリカ競馬の歴史の中で無敗で三冠を制した馬はいないのです。
あのサイテーションやセクレタリアトでさえ成し得なかった偉業をこの僅か
1万7500ドルで買われた一般セリ出身の馬がやってのけるのかどうか、
世間の注目は集まりました。

スタート後あっさりと主導権を握ったかと思われたシアトルスルーでしたが、
1コーナーを回った辺りで1頭の馬が並びかけてきました。
ケンタッキーダービーでシアトルスルーに迫ったランダスティーランです。
追い込んで届かないなら力と力の勝負に持ち込もうという作戦でしょう、
一歩も譲る気配はありません。

途中、もう一頭割って入って来て三頭雁行の更に厳しい流れに。
しかし、ここからがシアトルスルーの真骨頂、地力の違いでジワリ、ジワリと
二頭を引き離して行き、最終コーナーでは2馬身半くらいのリードを奪います。
ランダスティーランもこのまま引き下がるわけには行きません、
最後の力を振り絞ってもう一度盛り返しにかかります。
が、しかしシアトルスルーの底力には敵いません、更にリードを広げると
ゴールでは4馬身差をつける圧勝劇(2分29秒6)、ここにアメリカ競馬史上
空前絶後の無敗の三冠馬は誕生したのでした。

馬は生き物、調子の悪い時もあれば気持ちの乗らない時もあります、ましてや
何頭もの馬がオープンコースで走る競馬ともなれば勝ち続けるという事は至難の技です。
その上、アメリカは日本と違い僅か一ヶ月余りの期間に全ての三冠レースが
行われ
ますから消耗度は相当なもの、この偉業にはどれだけの賛辞を送っても
足りる事はありませんね。

しかし、この栄光を掴んだ後、試練が待ち受けていました。
シアトルスルーを管理するターナー調教師と馬主が対立してしまったのです。
というのも、三冠レース後には長期の休養が必要だと主張するターナー調教師に対して、
馬主はベルモントSから一ヶ月も経たない内に遠く西部カリフォルニア州の
ハリウッドパーク競馬場で行われるG1スワップステークス(D2000M)に出走させたい
と言うのです。
結局馬主サイドが押し切る形で出走、さすがのシアトルスルーもこの強行軍には
対応出来ず、以前の対戦では全く相手にしなかったJ.Oトビンから離されること
実に16馬身、生涯唯一の大敗で4着に敗れてしまいます。
この結果により馬主と調教師の溝は決定的なものとなり、シアトルスルーは
ターナー調教師の元を離れる事になりました。
更に災いは続き、転厩後に原因不明の高熱に見舞われたシアトルスルーは
一時生命が危ぶまれるほど病状が悪化、しかし強靭な精神力で何とか持ち直します。
結局この年はもうレースを走る事はありませんでしたが、当然年度代表馬、
最優秀3歳牡馬に選出されシーズンを締めくくりました。

※続きます。

海外の名馬(シアトルスルーpart1)  担【temporalis】

temporalisさんからの寄稿。
アイネスフウジン、マルゼンスキーに続く第3弾は・・・シアトルスルー

すでに後継種牡馬のさらにその後継が活躍している時代。
歴史的な名馬の血は日本の競走馬にも受け継がれています。

今回はtemporalisさんと共に少しの間、彼が現役として活躍していた時代に
タイムスリップしてみたいと思います(^^)g

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日本で伝説の名馬マルゼンスキーが誕生した1974年、
アメリカでも1頭の名馬が誕生しました。
その馬の名はシアトルスルー、アメリカ競馬史上唯一頭、
無敗で三冠を制した馬であります。

第1章【醜いアヒルの子

彼の母はマイチャーマーというフェアグラウンドオークス(G2)勝ちを含む
6勝馬で、僅か5、6頭ばかりの繁殖牝馬を持つだけの小さな牧場の主
ベン・カスルマンはこの馬を何とか繁殖として成功させたいと考えました。
そして大種牡馬ボールドルーラーを繋養する名門クレイボーン牧場へと出向きますが、
当初配合相手にと考えていたボールドルーラー直子のハシントは既に予約が一杯、
止む無くクレイボーン牧場が薦めてくれた種付け料僅か5000ドルの
ボールドリーズニング(ボールドルーラーの孫)を付ける事に。
このボールドリーズニングは12戦8勝、ステークス勝ちもありベルモント競馬場
ダート6Fのコースレコードを出すほどのスピードが評価され種牡馬となりましたが、
種付け中に牝馬に蹴られた怪我が元で死亡、僅か3世代の産駒を残しただけに
終わりました。

こうして生まれた馬がシアトルスルーなわけですが、生まれつき右後脚が
外向し
ていた上、やたらと大きい体に更にビッグサイズの頭、
尻尾はポニーのように短いときていて、見栄えのしない事この上ない馬体でした。
牧場では「醜いアヒルの子」というあだ名が付けられましたが、
これは後の彼の大活躍を思えば的を得た〝愛称"と言っていいでしょうね。
この見た目の悪さのためキーンランドの2歳セールへの出場を断られ、止む無く
一般のセリへ出されましたが、ここで獣医師のジム・ヒル夫妻と材木商の
ミッキー・テイラー夫妻の共同馬主によって1万7500ドル(当時の日本円で約500万円)
で落札されました。
シアトルスルーの名はこのテイラー夫妻の出身地シアトルとヒル氏の出身地である
フロリダ州の湿地地帯スルーを組み合わせたものだそうです。

そして2歳となった1976年9月、シアトルスルーはデビュー戦を迎えます。
調教で素晴らしい動きを見せていた事で1番人気には推されましたが、
血統的な地味さと一般のセリ出身という背景からか単勝は3.6倍とそれほど
大きな注目を集めていた訳ではありませんでした。
しかし蓋を開けてみれば圧巻のレースぶり。
スタート後しばらくしてからじっくりと先頭に立つと、あとは後続に影をも踏ませぬ
5馬身差の大楽勝、D1200Mを1分10秒2で駆け抜けたのでした。

続く一般戦(D1400M)も出遅れはあったものの、スピードの違いで先頭を奪うと、
持ったまま3馬身半差の逃げ切り勝ち、走破時計は1分22秒0でした。
こうなるともう並の馬でない事は明白です、次走はシャンペンS(D1600M)GⅠに
挑戦する事となりました。

このレースは〝凄い"の一言ですね。
スタートしてからいつものようにスピードの違いで先頭に立つシアトルスルー、
2番手につけるのはベルモントフューチュリティーS(G1)を制している
フォーザモーメントです。
400M通過は23秒2、800M通過は約46秒、素晴らしい高速平均ラップで飛ばす
シアトルスルー、しかしフォーザモーメントが意地で直後まで迫って来ます。
1200M通過は約1分10秒、速い!

そして直線へ。

必死に喰らいつこうとするフォーザモーメントですが楽な手応えの
シアトルスルーにじわじわ引き離されていきます。
直線半ばでは完全に独走状態、鞍上のクリュゲ騎手も後ろを振り返る余裕を見せ
全くの馬なりで2着フォーザモーメントに9馬身4/3差をつけゴールイン!
勝ち時計は1分34秒4、これは奇しくもマルゼンスキーが同じ年の朝日杯で叩き出した
スーパーレコードと同タイムなのです。
もちろんこれはレースレコードであり2歳レコード、時計の出るアメリカのダート
とはいえ、あのマルゼンスキーが芝で叩き出したレコードに馬なりで同タイムとは
驚くばかりです。

※続きます。

日本の名馬(マルゼンスキーpart2)  担【temporalis】

マルゼンスキー物語 ~伝説は永遠に~

その後、きさらぎ賞を目標にしていたマルゼンスキーでしたが、
調教中に軽い骨折をしてしまい止む無く休養に入ります。
復帰したのはクラシックシーズンたけなわの5月7日、
またもや平場のオープン(東京 芝1600M)からでした。
ここでも楽々と皐月賞5着馬ロングイチーを7馬身置き去りにし、
その実力を見せ付けます。


「ダービーに出させて下さい。枠順は大外でいい、他の馬の邪魔は一切しません。
 賞金もいりません。この馬の実力を確かめるだけでいいんです。」


有名な中野渡騎手の発言ですが受け入れられる筈もありません。
しかし、〝残念ダービー"とも言われる次走、日本短波賞(中山 芝1800M )で
マルゼンスキーは空前の仰天パフォーマンスを見せるのです。


私はこのレースを『名馬十番勝負』という市販のビデオで初めて見ました。
朝日杯のVTRでその強さは十分過ぎる程に分かっていましたが、
ここで選ばれているのは違うレース、果たしてどんな光景が映し出されるのでしょう。

不良馬場もなんのその、マルゼンスキーはスタートから勢い良く飛び出します。
そして、いつものようにあれよあれよという間に後続を置き去りに。
バックストレートに入った辺りではもう10馬身近く差がついたでしょうか、

〈何だ、またぶっちぎりか?〉

そう思った時、予期せぬ事態が。

何故かマルゼンスキーが徐々に減速し、3コーナー辺りではゆったりとした
キャンターくらいのスピードになったのです。
みるみるうちに後続との差が詰まり、遂には2番手を追走していた
インタースペンサーに内から並びかけられるマルゼンスキー。

〈故障か?遂にマルゼンスキーが負けるのか?〉

スタンドがどよめきます。
しかし、ここからがマルゼンスキー劇場の始まりでした。
馬上で気合を入れる中野渡騎手に
「え?まだレース終わってないの?」
とばかりに再加速を開始するマルゼンスキー。
驚いたのは後ろから勢い良く並びかけて来たインタースペンサーが
一度も前に出られなかった事、何という加速力でしょう。

再びジワジワとリードを広げ4角を先頭で回るマルゼンスキー。
そして直線、中野渡騎手のムチが入るとグングンと
後続を突き放していくではありませんか。
テレビ画面に映し出される信じられない光景に私は唖然とするばかり。
3コーナーで一度エンジンを止めながら、再び2着馬を7馬身もちぎって
ゴールインしてしまったのです。

相手が弱過ぎた? いえいえそんな事はありません。
この時の2着馬はプレストウコウ、この後秋に古馬混合の京王杯AHで
僅差2着してからセントライト記念を勝ち、続く京都新聞杯では
ダービー馬ラッキールーラを破りレコード勝ち、更には菊花賞まで
レコードでぶっこ抜いてしまうほどの強豪なのです。
しかし、何故マルゼンスキーは失速してしまったのでしょう。
中野渡騎手によると、

「あれは3コーナー過ぎでレースがお終いだと馬が錯覚したんだろうな。
実は帰し馬の時、あそこで一度馬を止めているんです。それを覚えていたんだね。」

だそうで、なるほどそうかと以前は私も納得していました。
しかし、今回VTRを見直してどうにも腑に落ちないところがあるのです。

それはマルゼンスキーの失速は明らかなのに中野渡騎手に全く焦りが見られない事、
そしてまるでインタースペンサーが並びかけて来るのを見計らったように
馬に気合をつけているようにしか見えないのです。

私が推測するには、これは中野渡騎手が仕掛けた演出だったのではないかと。
いつものようにぶっちぎって勝つだけでは面白くない、
マルゼンスキーの強さをより鮮烈に満天下に示すには・・・
そう考えてマルゼンスキーを一度止めたのだとしたら、
これはマルゼンスキーだけでなく中野渡清一という男の伝説でもありますね。


この驚愕のレースの後、マルゼンスキー陣営が次走に選んだのは
夏の札幌で行われる短距離S、何とダートの1200M戦でした。
しかし、更に驚くべき事に、このレースにはあの天馬トウショウボーイが
参戦を表明したのです。

1年違いで生まれたこの2頭の超快速馬同士の対決が実現すれば、
これは歴史に残る名勝負になったに違いありません。
しかしながらトウショウボーイは調教中に脚部不安を発生、
夢の対決は持ち越しとなりました。
こうなればマルゼンスキーに敵はありません、初ダートも何のその、
1分10秒1(良)のレコードでまたもやヒシスピードを1秒6置き去りにする
圧勝劇でありました。


しかし、結果的にこの短距離Sがマルゼンスキー最後のレースになってしまいます。
8大競争中、持込馬が唯一出走できる有馬記念を目前に屈腱炎を発症したのです。
その時の有馬記念こそ、あのテンポイントとトウショウボーイが
日本競馬史上最高の名勝負と言われる壮絶なマッチレースを繰り広げたあの舞台、
もしここにマルゼンスキーが加わっていたら歴史は変わっていたのでしょうか。

彼が走った平均レース距離は1350M、最も長いのが日本短波賞の1800M、
果たして距離が持ったのか?
その答えは彼の息子達が出してくれました。
菊花賞馬ホリスキー、レオダーバン、ダービー馬サクラチヨノオー、
宝塚記念馬スズカコバン・・・


一度も檜舞台に立つ事無くターフを去った無冠の帝王マルゼンスキー、
引退式の日、スタンドで見送るファンが誇らしげに掲げた横断幕には
こう書かれていました。
  
 「さようならマルゼンスキー、語り継ごうお前の強さを」

日本の名馬(マルゼンスキーpart1)  担【temporalis】

マルゼンスキー物語 ~怪物伝説~


《あの、マルゼンスキー》


何度となく目にし、耳にしたフレーズでした。
8戦8勝、2着につけた合計着差が61馬身、朝日杯3歳Sでのスーパーレコード・・・
その数字を一見しただけで、とんでもなく強い馬だった事は分かりました。
しかし当時は彼のレースをVTRで見るという機会がなかなか無く、
まさに〝伝説の名馬"として想像を膨らませる、そんな存在だったのです。
私は、アイネスフウジンが朝日杯でこのマルゼンスキーの記録と並んで以来、
彼のことが気になって、気になって仕方がありませんでした。

〈マルゼンスキーのレースが見たい〉

その願いが叶ったのはそれから1年以上後、広島市内のWINSでの事でした。
普段は広島市内に住む友人に馬券の購入を頼んでいて殆どWINSに足を運ばない
私は知らなかったのです、そこで過去の名レースのVTRが観れる事を。
「おお、マルゼンスキーの朝日杯があるじゃないか!」
私は速攻で再生ボタンを押し、息を呑んでスクリーンを見つめました。

マルゼンスキーのスタートはあまり良くありませんでした。
しかし、馬なりでグングン加速するとあっという間に先頭に立ち、
後続を離して行きます。
鞍上の中野渡騎手はガッチリ手綱を抑えていますが、見た目にも
その有り余る力が伝わって来る、それほどマルゼンスキーの走りは
力感に溢れていました。
後続からは唯一、2番人気のヒシスピードが意地で喰らいついて来ますが、
その差は3馬身、4馬身、5馬身と徐々に開いて行きます。
そして直線に入ると完全にマルゼンスキーの独走状態、
ヒシスピードとの差は更に6馬身、7馬身、8馬身・・・・・
一体どこまで開くのでしょう。

直線半ばを過ぎて遂に中野渡騎手のムチが入ると、
もう相当にカメラを引かないと後続の姿は映りません。

マルゼンスキーがゴール板を駆け抜けた時、2着ヒシスピードは
遥か13馬身後方でもがいていました。

〈凄い、凄過ぎる・・・〉

正にそれは戦慄のレース、初めて《あの、マルゼンスキー》を
目の当たりにした瞬間でした。
勝ちタイムは驚愕の1分34秒4、高速化した現代の馬場では驚くような
時計ではありませんが、当時の馬場ではこれは突出したものだったのです。


マルゼンスキーはこの朝日杯までに3戦を走っていましたが、その内容は

新馬     中山芝1200M良 1着 1分11秒0 大差  単勝130円
いちょう特別 中山芝1200M良 1着 1分10秒5 9馬身  単勝100円
府中3歳S   東京芝1600M重 1着 1分37秒9 ハナ  単勝110円

新馬、いちょう特別は馬なりでの楽勝、おや?と思うのは3戦目、府中3歳Sですね。
このレースでは完全に中野渡騎手は油断をしていました、いつも通りゆっくりと
回って来れば勝てると。

しかしながら、ここにはこれまでの相手とは少し力の違う馬が出走していました。
過去2戦では直線に向いて馬なりで離す一方だったのに何と並びかけて来た馬が、
ヒシスピードです。
中野渡騎手は泡を食い、慌ててマルゼンスキーの手綱を押しますが動揺が馬に
伝わったか、一気に加速が出来ません。
勢いの違いでマルゼンスキーの前に出るヒシスピード、
〈この馬に乗ってて本当に負けちゃうのか?〉焦りに焦る中野渡騎手。
しかしマルゼンスキーは競っても強かった、ゴール手前でヒシスピードを抜き
返すとハナ差を保ってゴールしたのでした。

このレースがあったので次走の朝日杯では単勝130円と新馬と並ぶ生涯最高の
倍率となったのですが結果は上記の圧勝。
同じ馬相手に同じ距離でハナ差の後13馬身差、もちろん油断しなかった事も
ありますがもっと大きな理由がそこにはありました。

マルゼンスキーは生まれながらに脚が外向しており、強い調教を課すと
故障する危険が付き纏っていたのです。
そのためいつも6分~7分程度の仕上げでレースに臨んでいましたが、
「朝日杯だけは絶対に勝ちたい」という馬主さんの意向により
この時だけは目一杯の仕上げを敢行していたのです。


こうして最優秀3歳牡馬に選出されたマルゼンスキーですが、
この先華やかなクラシックロードへと進む事は出来ませんでした。

何故ならば彼は母シル(父ニジンスキー)のお腹の中に入ったまま日本へ輸入され、
その後誕生したいわゆる持込馬だったためクラシックへの出走権がなかったのです。
マルゼンスキー以前にはヒカルメイジ(ダービー)、ジュピック(オークス)、
以後にはニシノフラワー(桜花賞)といった持込馬のクラシックホースが
誕生していますが、丁度その狭間で内国産馬保護の風に吹かれ
裏街道に押しやられたのがマルゼンスキーだったというわけです。


マルゼンスキーは年明け初戦に平場のオープン(中京 芝1600M)を選びましたが
ここでちょっとしたハプニングが起こりました。
あまりのマルゼンスキーの強さにタイムオーバーになるのではないかと
他陣営が恐れをなし、出走頭数が揃わなかったのです。
この時は、ある調教師さんが自厩舎から2頭出してくれて何とか5頭立てとなり
レースが成立、その代わりに

〈タイムオーバーにならないように加減して走ってくれ〉

と頼まれたとか。
単勝は当然の100円元返し、中野渡騎手は後ろを確認しながら走り、
1頭もタイムオーバーにする事なく、2着に2馬身1/2差をつけて
ゴールしたのでした。

※→第2章「伝説は永遠に

思い出の名馬(アイネスフウジンpart3)  担【temporalis】

アイネスフウジン物語 ~ダービー、そして未来へ~

「気にするな栄治、負けた時に次に勝つ因を作ってるんだ」

加藤調教師は最大のチャンスだと思われた皐月賞を勝利目前で逃しても
中野騎手に温かい言葉をかけました。
実際、ホワイトストーンに騎乗していた柴田政人騎手も、
「俺の馬がぶつからなきゃ栄治の馬が勝っていた」と語っていたように
中野騎手には何の落ち度もなかったのです。
しかし、世間の風は冷たく、「中野を降ろせ」の声が大きくなったのはもちろん、
アイネスフウジンに対しても評論家の多くは「テスコボーイが強く出たマイラー、
ダービーを乗り切るスタミナは無い」と『ダービーでは用無し』の烙印を押しました。
それでも勿論、私のアイネスフウジンに対する信頼は変わりません。
何よりもスポーツ紙で見つけたフウジンの『心臓の強さ』についての記事が
勇気をくれていたのです。
普通、サラブレッドの心拍数は1分間に30くらいだそうですが、フウジンのそれは
およそ23、あの皇帝シンボリルドルフと比べても遜色ないというのですから
2400Mを乗り切れないわけが無いではありませんか。
「ダービーは絶対アイネスフウジンが勝つ」
私は周囲に呆れられながらも、熱く熱く語り続けたのでした。




ダービー当日の早朝、東京競馬場の芝の上を歩く中野栄治騎手の姿がありました。
その日、ダービーまで芝のレースの乗鞍が全く無い中野騎手は自分の足でコースを
一周して、どこを通るのが一番良いか確認していたのです。
これで『ダービーを勝つための作戦』は完成し中野騎手は腹を括りました。

私はと言うと、朝からソワソワ落ち着きません。
「大丈夫だ、勝てる」
そう自分に言い聞かせながらも、ピークに仕上げた皐月賞から回復が遅れ、
直前の追い切りの動きがもう一つだったフウジンの状態が気が気では
ありませんでした。
この日、ダービーの1番人気に推されたのは単勝3.5倍でメジロライアン、
鞍上はもちろん横山典弘騎手です。
『長距離に強い馬』にこだわったメジロ牧場の生産馬、加えて父が有馬記念、
天皇賞(春)に優勝しているアンバーシャダイという事で、
「この距離ならばこの馬」との見方が主流となっていたのです。
続く2番人気は単勝3.9倍で皐月賞馬ハクタイセイ。
驚くべき事に鞍上は皐月賞を勝った南井騎手では無く、
『天才ジョッキー』の名を欲しいままにする若手、武豊騎手へと
乗り替わっていました。
ハクタイセイは父ハイセイコーからライアンとは逆に距離への不安がありましたが、
このスーパージョッキーの起用で「彼なら何とかしてくれる」という追いが
吹いたのでしょう。
アイネスフウジンはというと単勝5.3倍と少し離された3番人気に甘んじていました。
かつて『クラシックの中心』とされた3歳王者も弥生賞、皐月賞と
続けざまの敗戦で人気に影を落としていたのです。
どちらのレースにもはっきりとした敗因があったにもかかわらず・・・
それでも私は、「専門家筋の酷評の割には人気があるなあ」と少し嬉しく
思っていました。
きっと私のようにフウジンの魅力に取り憑かれた人が大勢いたのでしょう。


史上最高の19万人の大歓声の中、運命のファンファーレは鳴り響きました。
私は友人(彼は私の熱弁に洗脳されてかアイネスフウジンから馬券を買っていました)
と二人でテレビの前に座り、緊張は最高潮です。



「無事に出てくれ・・・」

祈るような気持ちでゲートインを見守ります。
そして遂に闘いの火蓋は切って落とされました。

「スタート直後、全馬が見渡せた」

中野騎手が後にそう語ったようにフウジンはやや出負けしました。
が、中野騎手は焦りませんでした。
2番手で折り合った皐月賞の内容からどこからでも競馬が出来る自信があったのです。
騎手の焦りは必ず馬に伝わります、『1コーナーまではシンガリでもいい』
その愛馬への信頼の気持ちに応えてフウジンは加速を始めます。
馬なりであれよあれよという間に全馬をごぼう抜き、1コーナーを颯爽と先頭で
回って行ったのでした。

「よし!いけるぞ!」

私は理想の逃げに持ち込んだフウジンを見て小さくこぶしを握り締めました。
先頭に立った後もフウジンはペースを緩めません、3ハロン目からは
12.0-12.0-12.1と理想の高速平均ラップを刻み向正面では後続に
5馬身近い差をつけています。
何という力強い走りでしょう、かつての腰の甘さは解消し、後脚の強靭な蹴りを
しっかりと前脚で受け止めて走るフウジンの勇姿に胸は高鳴りました。
1000Mの通過は59秒8、1分くらいで通過したいと考えていた中野騎手の思惑通りです。
3コーナーにかかる手前でテレビ画面が馬群を正面から捉えました。
そこでフウジンが内から5頭分くらいを空けて明らかに馬場の良いところを
通っているのがはっきりと分かりました。
中野騎手が早朝のスクーリングで決めた『通り道』がまさにここだったのです。
ピタリと折り合って逃げるフウジンに後続は焦り始めました。
3コーナーを過ぎた辺りからカムイフジ、そしてハクタイセイが一気に
差を詰めて来ます、後方に控えていたメジロライアン横山騎手も早目のゴーサイン。
フウジンの直後に迫ったカムイフジ、ハクタイセイに「あ~」と隣で悲鳴を上げる友人、
逃げ馬が後ろに捉まれば勝ち目は無いと思ったのでしょう。

「いや、フウジンの脚はこっからじゃ」

私は確信を持って言い放ちました。
実はフウジンがペースを少し緩めたのが向正面後半で3コーナーから再び加速しており、
そこを馬場の悪い内側を通って一気に追い上げた2頭は相当な脚を使わされて
いたのです。
3、4コーナー中間を過ぎた辺りで初めてフウジンをインに入れた中野騎手、
先頭のまま直線に向かいます。
必死にムチを入れて食い下がるハクタイセイ武騎手、カムイフジ郷原騎手に対して、
アイネスフウジン中野騎手はまだ手綱を持ったまま、
後方ではメジロライアン横山騎手が早くも4番手まで上がって来ています。
そして坂を上り切ったところで中野騎手は初めてフウジンにムチを入れました。
たちまちハクタイセイ、カムイフジを置き去りにするフウジン、
まさにこの展開は共同通信杯の時と同じではありませんか。
中野騎手は過去のダービーを研究して気付いていたのです、
4歳(現3歳)春の時点での2400M戦ではゴール1ハロン手前で
ほぼ勝負が決まる事に。
後方からメジロライアン、連れてホワイトストーンとツルマルミマタオーも
追い上げて来ますが、最後の力を振り絞って逃げるフウジンに追いつく事は
できません。

「アイネスフウジン、アイネスフウジン、アイネスフウジンが逃げる!」

白熱の実況に興奮も最高潮、そして歓喜の瞬間は訪れました。

「しゃ~!勝った~!!」

先頭でゴール板を駆け抜けたフウジン、ここには本当に多くの感動が
詰まっていました。
騎手としての窮地に追い込まれた中野騎手を信じてフウジンを任せ続けた
加藤調教師、それを快く承諾してくれた小林オーナー、その男気に
見事応えた中野騎手、こんな素晴らしい勝利が他にあるでしょうか。
そして忘れてはならないのが中村牧場の事、あの死の淵から救い出された
テスコパールが生んだ仔がダービー馬の栄冠に輝いたのです。

勝ちタイムは驚愕の2分25秒3、1年前にサクラチヨノオーが出したレコードを
1秒も上回る破格の時計でした。
このレコードは東京競馬場が改修されるまでの13年間(改修1年目は重馬場)も
破られる事はありませんでした、あのトウカイテイオーやナリタブライアンでさえも
フウジンの時計には及ばなかったのです。

ゴール板を過ぎても走りを緩めないフウジン、追い込んできたメジロライアン以下を
再び置き去りにして1、2コーナーを通過して向正面まで走って行きます。
これはシーホーク産駒特有の激しい気性のためで、父から受け継いだものは
豊富なスタミナだけでなく、あれだけのラップを刻みながら最後までへこたれない
強い精神力も大いにあった事を証明するシーンでした。

しかし、その後フウジンと中野騎手はいつまでたってもスタンド前へ戻って来ません。
19万人を超える大観衆は最高のレースを見せてくれたヒーローの凱旋を待ち切れず、
ある一角から
「ナ・カ・ノ! ナ・カ・ノ!」
とそれを促すコールが発生。
するとどうでしょう、それは瞬く間にスタンド全体に広がり、馬券を獲った人も
外した人も一体となった大合唱へと発展したのです。
これがかの有名な『中野コール』、後にビッグレースで定番となる
勝者を讃えるコールが初めて発生した瞬間でした。
大コールに包まれて、中野栄治&アイネスフウジンはゆっくりとスタンド前へと
帰って来ました。
実は、レースで持てる力の全てを出し切ったフウジンは歩くこともままならない程
くたくたに疲れていて、中野騎手はその回復を待ってたのです。
帰りながらしきりにフウジンの左前脚を覗き込む中野騎手、その兆候はすでに
表れていました。


「もうだめかもしんねえなあ」

アイネスフウジン担当の佐川厩務員は寂しそうに呟きました。
秋の目標を天皇賞秋に定め、京都大賞典から始動という胸躍るプランを打ち出していた
陣営でしたが、放牧明け初時計を出した時点でその歩様に異常が見られたのです。
診断結果は左前脚浅屈腱炎、アイネスフウジンの勇姿をターフで見ることは二度となく
なりました。
それでもフウジンが自らの競争生命と引き換えに全身全霊の激走で掴んだものは
とてつもなく大きく、かけがえの無いものでした。
8戦4勝、その生涯成績は決して最強馬論などに登場するものでは無いかも知れません。
しかし敗戦の全てはダービーを勝つための布石であり、彼が3歳、4歳(現2歳、3歳)で
頂点に立ったレースで見せたポテンシャルの高さは歴代のどんな名馬にも劣るものでは
なかったと私は胸を張って言えます。
追いかけた馬は潰れ、後方に控えたとしても差し切るだけの脚を溜める事を許さない、
そんな最強の逃げ馬がアイネスフウジンだったのです。


それから2年後、私は結婚し北海道へ新婚旅行へ旅立ちました。
北海道に着いて真っ先に向かったのは静内町にあるレックススタッド。
もちろんアイネスフウジンに会うためです。
レジェンドテイオー、ニッポーテイオー、スズパレード、ダイナガリバー・・・
名だたる名馬達に挨拶をしながら私達は一番奥にいるフウジンの元へ向かいました。
フウジンは砂場でゴロゴロと転がり泥だらけになっていましたが、私達が柵に近付くと
すぐに側へ寄って来てくれました。
中野騎手が「フウジンはとても人懐っこい馬で馬房では手をペロペロなめて甘えていた」
と語っていた通り、本当に大人しくて首を柵から外に伸ばしてもう手が届くところまで
顔を寄せて来たほどです。
見学のマナーとして『馬にさわってはいけません』というのがありましたので
私は悩みました。
が、辺りをキョロキョロ見回して誰も見ていない事を確認すると辛抱たまらず
フウジンの鼻面を撫でてしまいました。(スタッフの方ごめんなさい)
それから何枚もフウジンとの記念写真を撮り、長らく楽しい時間を過ごしましたが、
さすがに新婚旅行でのわがままにも限度があります。
私は名残惜しい気持ちでフウジンにお別れを告げその場をゆっくり、ゆっくりと
離れて行きました。
遠ざかりながら「フウジ~ン、フウジ~ン」と呼びかけると、その度にまるで
嘶く様に首を高く上げ応えてくれるフウジン、本当に会いに行って良かったです。



種牡馬になったフウジンは元気な産駒を多数送り出してくれました。
フウジンの仔を応援する日々は本当に楽しく、たとえ未勝利戦であってもわが子を
見守るような、そんなドキドキを与えてくれたのです。
結局、後継種牡馬を出せなかったのはとても残念ですが
牝馬の孝行娘ファストフレンドが同一年の帝王賞、東京大賞典のダート頂上決戦を
両方勝つという偉業を成し遂げてくれました。
フウジンはもうこの世にはいませんが、フウジンの血を引く仔が走る限り、
私は精一杯の声援を送り続けたいと思います。


『ありがとうアイネスフウジン、
 あの日、府中の2400Mを絶えず先頭で駆け抜けたお前の勇姿を忘れないよ。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いかがでしたでしょうか?
競馬をギャンブルとして見過ぎてしまうと、競走馬がただの「記号」に
なってしまったりします。
当たった、外れた、で十分楽しいという方もいらっしゃるかと思いますが、
やはり競馬は人の夢やロマンを背景に観た方が私は楽しいと思いますし、
その方が長く競馬と歩んでいけると思います。

多くの人の想いを背負って競走馬たちが走っているからこそ、
胸を打つようなドラマが生まれ、思い出として記憶に残っていくわけで
私も改めて初心に帰った気がしました(^^)g

思い出の名馬(アイネスフウジンpart2) 担【temporalis】

アイネスフウジン物語 ~クラシックの舞台へ~

こうして中野栄治&アイネスフウジンのコンビは結成され始動しました。
中野騎手が初めてフウジンに跨った時の印象は
『前輪のパンクした自転車に乗ってるたい』だったそうです。
柔らかくバネのある体ではありましたが、まだ前がゴツゴツしていて
トモの強烈な蹴っぱりをしっかり前脚で受け止める事が出来なかったのです。
更に引っ掛かる気性の上、首をグッと下げて走る走法だったため
中野騎手が乗る以前、調教中に2回前のめりに転んだそうで初めの頃は
相当用心して乗っていました。
フウジンは新馬2戦(当時は新馬戦に2回出走出来ました)を連続2着に敗れましたが、
そんな状態であった事もあって陣営に焦りは全くありませんでした。
「能力があるのは分かっていたので雰囲気を分かってくれればいい」
と中野騎手もそっと回ってくるくらいの気持ちで乗ったそうです。
そして続く3戦目の未勝利戦で余裕の逃げ切り勝ちを決めると続く4戦目に選んだのは
何とGⅠ朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティーS)でした。


私とアイネスフウジンの出会いはこのレースからでした。
当時はインターネットやグリーンチャンネルも無く、広島に住む私が関東馬の
新馬戦や未勝利戦を目にする機会は無かったのです。
もともと競馬を始めて最初に好きになった馬がシーホーク産駒の
スダホークだった事もあり私はシーホーク産駒贔屓で、果たしてこの1勝馬が
どこまでやれるのか、注目してテレビの前に座りました。
フウジンのスタートはそこそこで、まずは好位につけました。
逃げたのは牝馬のサクラサエズリ、芝に変わった3戦目から怒涛の3連勝で
全て逃げ切り勝ち、前走の京成杯3歳S(GⅡ)では牡馬を蹴散らしており、
このレースも1番人気に推されています。
《さすがに速いな》、そう思って見ているとガーッとサクラサエズリの直後まで
追いついて来た馬が・・・アイネスフウジンです!
かなりのハイペースで飛ばす2頭はどんどん3番手以下を引き離していきます、
1000M通過は何と56秒9! 尋常なペースではありません。
《これは潰れる》誰もがそう思いました。
ところが4角を回って直線を向いても2頭と後続の差は一向に詰まりません、
あまりのハイペースに後続も脚を使わされ追いつけないのです。
馬体を合わせてビッシリ競い合うサエズリとフウジン、まさに意地と意地との
ぶつかり合いです。
しかしゴール前の急坂でグイと抜け出したのは1勝馬アイネスフウジン、
最後は2馬身半もの差をつけてゴール板を駆け抜けました。
掲示された勝ちタイムは何と 1分34秒4!
あの《不滅の記録》とさえ言われたマルゼンスキーのスーパーレコードに
13年の時を経て遂に並ぶ馬が現れたのです。
「何だこの馬は、こんなレース見たことないぞ」
私は興奮を抑え切れませんでした。
この日から寝ても醒めてもアイネスフウジンの日々がスタートしたのであります。

そして北海道のとある病院の病室でこのレースを熱い想いで観戦していた親子が
ありました、中村吉兵衛さんと幸蔵さんです。
吉兵衛さんはこの時すでに92歳でかなり衰弱した状況でした、それだけに
このテスコパールの仔の晴れ舞台を心から楽しみにしていたのです。
あのテスコパールの仔がGⅠを勝ってくれた、こんなに嬉しいことはありません。
レースからわずか13日後、吉兵衛さんはテスコパールから貰った最高の贈り物を胸に
天国へと旅立ちました、満ち足りた安らかな顔で。



一躍3歳王者となったフウジンですが陣営は年明け初戦に共同通信杯4歳S
(現3歳S)を選択しました。
初の1800M戦でしたが単勝1.7倍の圧倒的な1番人気、フウジンはすでに
受けて立つ側に立場を変えていたのです。
ここは相手関係からも負けられない一戦、果たしてフウジンがどんなレースを
見せてくれるのか、私は固唾を呑んで見守りました。
スタートは決して良くなかったフウジンでしたが、スピードの違いで先頭を奪うと
その後は精密機械のように正確な平均ラップを刻み余裕綽々で直線へ。
後続が差を詰めて来ても慌てず騒がず、手綱は抑えたままです。
そして後続と横一線になった坂上で中野騎手のゴーサインが出ると
一気に加速するフウジン、ゴールでは2着馬に3馬身もの差をつけていました。
《この馬でダービーを勝てる》
私はこの時点で確信めいたものを感じました。
ダービーと同じ東京競馬場という事で私には中野騎手がダービーの予行演習を
したように見えたのです。
勝ちタイムこそ1分49秒5と平凡でしたが、このレースでフウジンが刻んだラップは
12.7-11.4-12.0-12.8-12.2-12.2-12.2-11.9-12.1
9ハロンなので前後半を真ん中で分ける事はできませんが、
前半3Fが36.1、4Fが48.9で上がり3Fが36.2、4Fが48.4ですからいかにこの馬が
正確なラップを刻んでいるか分かると思います。
フウジンは元来、体よりも気持ちが前へ前へ行ってしまうタイプの馬で、
前走の朝日杯なんかはその気性が前面に出た典型と言えるでしょう。
そんなフウジンがこのような落ち着いたレースが出来たのは大収穫だったのです。


《今年のクラシックはアイネスフウジンを中心に展開する》


朝日杯に続いて共同通信杯も制したフウジンの評価は確固たるものに
なりつつありました。
しかし次走の皐月賞トライアル弥生賞で様相は一変します。
この日の馬場状態は前夜までの雨で不良馬場、馬の脚がくるぶしまで埋まるような
過酷な状態でした。
それでもアイネスフウジンは単勝1.9倍の圧倒的1番人気、ファンは(もちろん私も)
その勝利を信じて疑わなかったのです。
そしていよいよレースがスタート、そこで私は驚くべき光景を目にしました。
14頭立ての8番枠から飛び出したフウジンが何と大外目がけて
切れ出して行くではありませんか!
「おいおい、大外を通って逃げるなんて聞いた事ないぞ、大丈夫か?」
フウジンはハナに立って後続を離して行くのですが大外を回っているために、
コーナーになると内を回る馬達に差を詰められ、また直線に向くと離し、
またコーナーが来ると差が無くなり、と見ている方は気が気ではありませんでした。
そしていよいよ直線へ向きますが、コーナーで差を詰められた分すぐに
後続と横並びに。
「さあ、突き放せ!」
私は心の中で叫びましたが、一向に抜け出してこないフウジン。
代わりに馬群の中から勢い良く抜けて来たのは、売り出し中の若手ジョッキー
横山典弘騎手が操るメジロライアンです。
結局フウジンはツルマルミマタオー、ホワイトストーンにも遅れをとって
4着に沈んのです。
しかし私はがっかりはしませんでした。
何故なら中野騎手が直線でフウジンにムチを入れず、周りをキョロキョロとまるで
様子を伺うように見ていたのを確認していたからです。


「外を回らせて下さい」


レース前に中野騎手は加藤調教師にそう願い出ていました。
「あの泥々の馬場で道の悪いところを通ったら馬に悪い印象がついて後々まで
影響してしまう、馬に変な癖をつけたくなかったから」
中野騎手はその思いから勝負を度返しして先を見据えた騎乗をしたのです。
確かに馬券を買っていたファンからすればそれは許せない行為だったかも知れません、
しかしそれを承知で馬の将来を考え、最善の選択をした男の決断に私は拍手を
送りたいと思います。



いよいよクラシック第一弾、皐月賞を迎えました。
アイネスフウジン陣営は堂々の《レコードⅤ》宣言、それだけこの日のフウジンは
最高の状態に仕上がっていたのです。
中野騎手は弥生賞では敗れたものの、ずっと大外を回って4着に踏ん張った内容から、
『弥生賞組にはまず負けない』という自信がありました。
ただ一頭だけ、5連勝で重賞きさらぎ賞を勝って来た関西馬、ハクタイセイだけには
未知の怖さがあったといいます。
ハクタイセイの鞍上には南井克己騎手、実はこのハクタイセイには
過去9戦中8戦までも須貝尚介騎手が騎乗していたのですが
(もちろん、きさらぎ賞も)、GⅠという大舞台を考えて1戦しか騎乗していなかった
南井騎手に手綱は託されたのです。
人気の方は、まだかろうじてアイネスフウジンが1番人気を守っていましたが、
単勝4.1倍とやはり弥生賞の敗戦から以前のような絶対的な信頼は無くなっていました。
続く2番人気がフウジンを破っているメジロライアンで5.0倍、
5連勝のハクタイセイが5.6倍と僅差の3番人気で続きました。

私は手に汗を握り過ぎて何度もズボンで拭きながらその時を待っていました。
そして緊張のスタート、・・・しかし、その瞬間思わぬアクシデントが!
1枠2番を引き一気に先頭に立つかと思われたフウジンに
隣の2枠3番ホワイトストーンがヨレてまともにぶつかって来たのです。
「うわっ!」思わず声が出る私。
フウジンは大きな馬なのでぶつかって来たホワイトストーンの方が
逆に吹っ飛ばされた形でしたが、中野騎手はバランスを崩し
後手を踏んでしまいました。
その隙に先手を取ったのは最低人気のフタバアサカゼ、玉砕覚悟の逃げに
フウジンは止む無く2番手まで追い上げたところで折り合う作戦に。
幸いフウジンは掛かる様子も無くスムーズな走りで追走していきます。
3コーナーでは楽に先頭に並びかけ、4コーナーでは息の上がった
フタバアサカゼが後退しいよいよ先頭に踊り出ました!
直線へ向いてもフウジンの脚色に衰えは無く後続を徐々に引き離して行きます。

「よし、勝てるぞ!」

そう思った直後、馬群の中から迫ってくる白い馬体が目に入りました。
ハクタイセイです。

「頑張れフウジン、もうちょっとだ!」

しかし根性では定評のあるハクタイセイが一完歩毎に差を詰めて、
遂にゴール寸前で馬体を合わせます。
そして無情にもハクタイセイが首だけグイと抜け出たところがゴールでした。

「あ~  差されたか ~ 」

着差が着差だっただけに、私はもう悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。
スタートさえまともなら・・・・
フウジンを応援した誰もがそう思ったに違いありません。
勝ちタイムも2分2秒2とシンボリルドルフの持つレコード2分1秒1には程遠いもので、
スタートのアクシデントでフウジンのスピードをフルに生かせなかったのが
悔やまれます。
ただ、それでもフウジンが一度は勝ちパターンに持ち込んだのは絶好調だった証で、
この距離でのハクタイセイという馬の強さも大いに賞賛されるべきでしょう。
因みにこのハクタイセイの曾祖母ミスフォールは中村牧場の生産馬でフウジンの
4代母ユキツキとは姉妹、中村親子にとっては悔しさの中にもちょっぴり
嬉しさもある複雑な敗戦だったようです。

→最終章「ダービー、そして未来へ